エジプトツアーレビュー

2015年11月から12月にエジプトに行った時の旅行記風なものです。
昨年もう絶対やらんと宣言したのですが、リクエストがかなりあり、今回は短期間なのでなんとか最後まで辿りつきたいです。

2015年11月29日(日)
出発
昨年5月のエジプト旅行ではカメラを忘れるという悲劇に見舞われました(忘れた自分のミスとも言う)が今回は大丈夫でした。

29日午後10時にターキシュエア(トルコ航空)で成田を出発しました。
元々午前便を利用して当日夜に到着しベッドで寝て翌日から観光の予定でしたが欠航ということなのでしかたがない・・・。
今年2回目の成田第1ターミナルですが、やはり個人的には第2ターミナルが好きです(なんとなく)

今回いくつか目玉グッズを持参したのですが、移動中のスペシャルアイテムはプライオリティ・パス。
ここで、さっそくこのプライオリティ・パス利用。
本当に日本ではマイナーですが海外旅行でこのカードを持っていると空港内で快適に過ごすことができます。
一応プライオリティ・パスのホームページはここ
ビジネスクラス・ファーストクラス限定のラウンジが使用可能ですのでエコノミークラス利用者の強い味方(ちなみに今回は6年ぶりのエコノミー利用)です。
アメリカ経由中南米着など乗継時間が長いところではゆっくりソファに座れますし飲み物と軽食は無料です。
日本であまり有名にならないのは日本の国際空港で出国後にこのカードが利用できるところが少ないため。
海外の空港はどこでも利用できるのに成田空港の出国後にこのカードが利用できるのは第1ターミナルのみです・・・そして羽田は利用できるラウンジはなんとゼロ(最悪じゃ)

成田で利用できるのは大韓航空のラウンジ(ちょっとショボイですが)。

そして気になったのはターキシュエアが出発する午後10時頃にはショップが全部閉まる!!午後9時店じまいだそうで。
免税店だけでなくコーヒーショップ、キオスクまで!!おいおいあと1時間どうすればいいのじゃ!
この時間に乗るのは初めてですが、ここは成田空港に断固改善を要求する!→当然帰国後NAAへメール(12/8完了)
・・・実際はターキッシュエアの乗客が大挙して押し寄せゲート近くの店は軒並み閉められないという悲劇が起こっていたが。

10:25発が10:00に変更になって離陸。

まずイスタンブールヘ
 この日は写真なしです。
2015年11月30日(月)
乗継&到着
30日午前4時にイスタンブール・アタチュルク空港へ到着。
この空港に降りたのは16年ぶりです。
前に来た時は田舎の空港(当時のターミナルは国内線用になっています)というイメージでしたが、驚くべき進化。
羽田はともかく成田は負けます。
この時間でも人が大勢いますしお店は開いていますし。
ここで、今回の旅行2回目のプライオリティ・パス登場。

プライオリティ・パスで利用可能なラウンジは3つありその1つに入りました。
乗継時間はあまりなかったのですがターミナル中心にラウンジがあるのでお茶と軽食を取り水のペットボトルをもらってきました。
・・・成田にあるKALのラウンジはターミナルの端で利用するのは少々大変でした。
軽食も飲み物もアルコール(自分は酒を飲まないので関係ないのですが)も非常に充実しています。
それにしてもエジプト行きの飛行機にはがいませんね。日本人。6割以上埋まっていましたが日本人は自分1人だけだったようです。

何事もなくカイロ到着。
第3ターミナルですが、このターミナルを利用するのは出来てすぐ以来だったのですが、カイロ空港でボーディングブリッジを利用するとはちょっと驚いた。

ここでバヒトラベルの空港スタッフと"カイロ空港名物!エジプトに行った人だけが知っているエジプシャンスタイル"で合流。
いつものながらのバヒの空港スタッフの手際のよさには舌を巻きます。
VIPでもない一般客の自分1人のためにパスポートコントールの窓口を強引に開けて軽くパス。(長い列を作って並んでいた皆さんすいません。自分の後も窓口は利用できたので許してね)。
こういう芸当はこの会社ならではなのですが、このありがたさは個人旅行でエジプトに行きここの大変さを身を持って知っている人にはわかるはず。
自分も来るはずのスタッフが現れず長時間待たされること数知れず。
その間怪しげな勧誘や警備に文句を言われる等々酷い目に遭って着いてそうそうストレスが溜まりました。

入口でバヒトラベルの日本語ガイドモロさん(この人るるぶエジプトに顔が出ています)と合流しそのままギザへ。
自分の場合はエジプトに来たというよりもエジプトに帰って来たという方が正しいようなところがあるのですがやはり馴染みます。

モロさんは、前日までルクソールで行われたニコラスリーブスによるツタンカーメン王墓にある新しい部屋探査に通訳として参加していたとのこと。
オフレコらしいのですがいろいろ聞かせてもらいましたが、とりあえずニコラスリーブスは人間的にはいい人だそうです。

ギザ到着。
本当に久々にクフのピラミッドに入ったのですが、非常に友好的な歓迎を受けました。
1つ目。玄室に誰もおらず玄室を長時間独り占め。ナポレオンのごとく瞑想に、いやこちらは妄想に耽りました。
2つ目。よからぬ妄想をしたのがいけなかったのか玄室で停電に遭い、古代エジプトのピラミッド内部体験をさせていただきました。
そういえば、最初にエジプトに来た時もメンカウラーのピラミッドで同じような貴重な体験(笑)をしたなぁ~と。
この後に太陽の船、パノラマスポット、スフィンクス観光でこの日は終了。

遅い昼食。
以前から有名なスフィンクスはどこを見ている?答えピザハット。のピザハットの隣のレストランへ。
非常に眺めがいいレストランです。
今回、バヒトラベルイチオシのレストランということで来たのですが確かに眺めがいいです。
将来、ギザ観光後にここを利用することが多くなるのではないかと思われます。
味も悪くなく店員の態度も悪くないです。

今回はラムセスヒルトンに宿泊。
カイロ博物館に近いので歩いてもいいかと。
ホテルに到着するとバヒのホテルスタッフが待っておりここもあっという間に手続き完了。
バヒのホテルスタッフに感謝×50!!格安旅行社のヘボなスタッフだと30分くらい軽く待たせられますので疲れているときなどイライラします。
個人でチェックインするとなるとエジプトのホテルは声の大きい順に手続きをするのでシャイな日本人は後回しになってたっぷり待たされ時間がかかりそれだけでエジプトの印象が悪くなります。
予定していたよりいい部屋(寝るだけだからとビュー指定を外していたのにナイルビューの部屋)を取ってくれました。
トラブルや交渉もエジプト旅行の醍醐味と思う人以外の純粋に観光を楽しみたい人は自分のようにバヒトラベルを利用するとストレスフリーの快適旅行を満喫できます。

とりあえず、今日の1枚(7枚だが)は利用したレストランと窓から見たギザのピラミッド、それからスフィンクス近くで撮影したカフラーのピラミッド。












2015年12月1日(火)
カイロ博物館 その1
やってきました。12月1日。
この日からカイロ博物館写真撮影解禁になります。
当然ですが、このために、この時期を選んでやってきました。

非常に混雑しているだろうと気合いを入れて開館時間9時の15分前に到着。
????。
非常に空いています。
中庭にも人影はポツポツ。警備の方が多い・・・嫌な予感。
もしかして、撮影解禁が急な取り消しとか・・・エジプトの場合、この種の話は両手では足りないくらいの事例があります。
最近でも、スフィンクスの足元エリアを全観光客に解放すると発表→いまだ実行されず、王家の谷夜間開放→数日で中止など前科100犯。
しかも、チケット売り場にはご丁寧に写真撮影禁止という張り紙。

9:00。
1分前に並んで一番!・・・Marinは16歳、井上喜久子17歳です♪に匹敵するぐらいのオイオイ状態です。
検査場はとりあえずパス・・・第1関門突破しすぐ2階へ。
ツタンカーメンの遺物は2階にあります。そして・・・。

今回の自分の第1ターゲットも2階にあります。
ツタンカーメン王墓から見つかった遺物なのですが、黄金のマスクや玉座などのような光り物とは無縁なものです。
カーターの遺物番号1kの箱の取手です。
ここの本体(遺跡ガイドサイド)では度々取り上げているアレです。
なぜこれが自分の第1ターゲットになるのか?
この取手には王アクエンアテン、王ネフェルネフェルウアテン、王妃メリトアテンの名前が書かれています。

現在ニコラスリーブス率いる調査隊がルクソール・王家の谷にあるツタンカーメン王墓の秘密の部屋が発掘調査しています。
リーブスはこの部屋はネフェルティティのミイラが眠っていると主張しています。
彼の根拠はツタンカーメンの遺物にはスメンクカラーの名前が多く残り、それらは元々彼女の遺物であり、これだけの遺物が流用されているのだから墓も彼女のものに違いないというものです。
リーブスはネフェルティティはアクエンアテンの死後、スメンクカラーとして王位に就いたと主張しているのですが、彼の言うスメンクカラーはネフェルネフェルウアテンと同一人物です。
スメンクカラーとネフェルネフェルウアテンが同一人物かどうかは学者の間でも意見が分かれています。
少しだけ補足すると、このスメンクカラーとネフェルネフェルウアテンは同じ即位名アンクケペルウラーを持ち、両方ともアクエンアテンの長女メリトアテンを王妃として伴っています。
ネフェルネフェルウアテンについていえば、男性形と女性形で書かれているものがあり、同じ名前の男女2名の王がいたとする学者もいます。
多くの書籍でツタンカーメンの遺物にスメンクカラーの名前があると書かれていますが、実は名前はほぼ100%ネフェルネフェルウアテン王です。
壺一つにスメンカラーの名前の可能性があるヒエログリフが掘られ、メトロポリタンが所蔵するKV55で発見された木棺に使用された金箔からスメンクカラーの名前を発見されたのが数少ない例外です。
個人的にはネフェルネフェルウアテン=ネフェルティティだろうと思っており、王妃メリトアテンはアクエンアテンの王妃または形式上の王妃(こんなものがあるかどうかは知りませんが)ではないかと考えています。
ついでに言えば、KV62の新しい部屋にネフェルティティの遺物が詰まっているとは考えてはいませんが、なんでもいい、何か出てきてくれと願っています。
できれば、ネフェルネフェルウアテンの秘密を解き明かす何かがでてきてくれればありがたい・・・それこそ、3年前に病死しなくてよかったと思えるようなものを。

というわけで、そのターゲットの取手を撮影しに向かいました。
自分がこの遺物を博物館の片隅で見つけたのは10年前・・・すでに撮影禁止になっており悔しくて発狂しかかった思い出があります。
場所は木箱やカゴが展示されている地味な棚。
ない!!。
まず、棚が移動されており、その棚自体は発見したもののなぜか目的の物だけがない!!
結局、2日間探しましたが展示されていませんでした・・・おのれ、リーブス、自分に見せないために隠したな!

しかし、それ以外は順調に撮影は進みましたが、少々のトラブルも。
まず、カメラ撮影OKという話がどういうわけか館内の警備員たちに伝わっていなかったため、一番で乗り込み無人の館内で撮影し始めるとすぐさまストップの声。
ゴチャゴチャやっていると下から"客よりも遅く"撮影OKのお触れが・・・遅いよ!
まあエジプトらしいですが。
それから、光量不足がわかっていたのでライトを持ち込んだのですがこちらはアウト(フラッシュは当然ダメなのですがライトもダメと。)。
奥の手もあるのでここは素直に引き下がりました。

結局約4時間1700枚。

それにしても空いていました。

昔は夜間警備に軍用シェパードを放っていたのですが、現在は経費削減したらしくネコがツタンカーメンの部屋をパトロールしているし。

ちなみに奥の手というのは、ISOを上げること、それからF値1.4というレンズ。

その後、遅い昼食を食べにアブ・ターレクへ。
大好きなコシャリです。

コシャリはエジプトに来始めの頃は絶対食べなかったローカルフードで、ローカルレストランですがここ何年かはお構いなし状態です。
きっかけはやはりアマルナ。
まず何度もアマルナに行っていたので馴染みになった地元の警察官やドライバーさんが自宅に夕食を食べに来るよう招待してくれるのですが、その家の隣には用水路が流れています。
ここから汲んだとは思いませんが似たような水質のもので調理されたものを散々食べても大丈夫=何を食べてもOKと自己判断したわけです。
もうひとつ、これもアマルナで散々飲んだタマルヒンディ。
5年前から飲み始めたので、これも地元の人向けなのですがまったく問題なし・・・というか非常に美味しく、アマルナに来てこれを飲まずには帰れないというものになりました。

食後、AUCのブックショップで1冊とカレンダーを50ポンドで購入・・・古代エジプトカレンダーはアマゾンで売られているものの何倍も出来がいいものでした。

今日の1枚(今日も1枚ではないのですが)は無人状態の館内で撮影したツタンカーメンの遺物、館内をパトロール中の大忙しな猫、コシャリ屋さんです。










2015年12月2日(水)
カイロ博物館 その2
この日も一番乗り。
そして、また一番なのですが。日本でこの種のものが開催された場合、数分前に並んで一番というのはありえません。

さて、今日もルート的には昨日と同じコースを辿りますが、それは写真を大きくして確認する手段がないため・・・夏にノートパソコンが壊れ修理するのが面倒だったのでそのまま放置していたのがここで効いた・・・それは帰国後に判明するのですが。

前日見つからなかったツタンカーメンの遺物を探しながら写真を撮りまくったわけですが、やはり光量不足は否めない。
ISOのオートにすると6400でほぼ固定です。
これはとりあえず撮影はできるが自分が普段使っている写真のようには利用できないレベルになるということです。
しかし、撮影できないよりはいいわけで・・・ライト使いた~~い。

さすがに昨日中にお触れは回ったらしく写真撮影を咎められることはなかったのですが、一緒に付いたガイドさんよれば『ヤツはプロだろう。プロは別料金だぞ』とブツブツと言っていたようです。
言っておきますが、プロのカメラマンでもなければ本物のエジプト学者でもありません。私!!

昨日に比べれば若干増えたものの最盛期を知っている自分にとっては無人同様です。
そして、日本人は相変わらずいません。
昨日一組二人の日本人に会いましたが、今日は阪急トラピックスのツアー一組と会いました。どうやら狙ってきたわけではなくなくたまたま、だったようです。あなた達はラッキーでした。

2階にある通称お宝部屋3室はきちんと撮影しておこうとトライ。
ツタンカーメンの部屋については特に念入りに撮影はしたのですが、帰国後確認するとやはり画質はイマイチ。
しかし、あらたな発見も。
スイープで撮影していたためたまたま写っていた遺物に『ネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラー』の名前がはっきりと・・・これは今回一番の発見かも・・・もう一回狙って撮影したい!!

ここでもう1回書きますが、このネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーという名前について。
この時期(第18王朝)のエジプト王の名前は基本5種類ありますが、有名かつ素人でもすぐに判別できるのは誕生名と即位名と呼ばれるものです。
この場合は、ネフェルネフェルウアテンが誕生名です。
ツタンカーメンもこれです。
もう一つの即位名ですが、誕生名とセットで書かれていることが多く、ネフェルネフェルウアテン王の場合は、アンクケペルウラーという即位名を持っており、ツタンカーメンの場合はネブケペルウラーという即位名を持っています。
ツタンカーメンの名前について少々説明を加えると、彼は改名しています。
その誕生名の方ですが、元々ツタンカーテンという名でしたが、王位に就いてからあまり時間を置かずにツタンカーメンという名前になりました。
何が違うかと言えば、最後の部分。



元々ツタンカーメンの父アクエンアテンが広めようとしたアテン信仰の神アテンの名前が入った『ツゥト・アンク・アテン』=ツタンカーテンだったのですが、アクエンアテンが弾圧し彼の死後急速にその影響力を復活させた旧来の神アメン信仰の神アメンを入れた『ツゥト・アンク・アメン』=ツタンカーメンになりました。
さらについでですが、父親アクエンアテンも改名をしたのですが、彼の場合ツタンカーメンとは逆に元々の名アメンヘテプを捨ててアクエンアテンと名乗りました。
アクエンアテンのアメンヘテプ時代の名前はルクソール西岸の貴族ラモーゼの墓(TT55)で見ることができます。

この2階はツタンカーメンの遺物ばかり取り上げられ(あとは王族のミイラです)ますし、ツアーガイドもほぼ説明もしなければ連れて行くこともありませんが、まだまだ面白いものが多数あります。
自慢ではないのですが(少しは自慢が入るけど)1回や2回来ただけでカイロ博物館を自由に歩きまわって目的の遺物に辿りつき、珍しい遺物のありかを知ることはチョコッと難しいです。
個人的には新王国時代が好きなのでそこに絞って説明します。
まずリングコーナー。
ツタンカーメンの金箔が張られた厨司の一番大きいものの先にありますが、ここで、ツタンカーメンはもちろん、アクエンアテン、ネフェルネフェルウアテン、メリトアテン王妃、アイ王・・・とずらり。



でも、誰も来ませんね。ここは。そこの近くには珍しいアイの遺物もかなり展示されていますけど。
もうひとつは、チャリオットコーナーの脇にある部屋。
ここは王家の谷で発見された遺物が多数展示されています。
H・カーターがトトメス4世王墓(KV43)で発見したチャリオット、ずらりと並ぶハトシェプスト女王の遺物などなど。
しかし、絶対に見るべきはセオドア・デービスが王家の谷54号墓(KV54)発見した王家の谷におけるツタンカーメンの名前が残る最初の遺物である金箔。
後に王になるアイがまだツタンカーメンの臣下時代が描かれたものとアイが王になった時のものがあります。

1階の隠れたお宝ですが、やはり、大スフィンクスのヒゲでしょうか。
このサイトで何度も書いていますが、『地球の歩き方』をはじめ日本のガイドブックではスフィンクスのヒゲはイギリス大英博物館にあると書かれています。
しかし、それは間違い。
確かに大英博物館にもありますが、カイロ博物館にもその一部があり見ることができます。



あとは、ハトシェプスト女王葬祭殿のレリーフ、プントの太った女性が描かれていたもの、あれのオリジナルがカイロ博物館にあります。



アマルナ25号墓。アイのアマルナ時代に造営した墓の有名なレリーフもなぜかここに。



この時点では偶然撮影されていたものや画質の悪さなど知る由もなく満足して終了。
今日も遅いランチは大好きなコシャリ。
今日の1枚(相変わらず1枚ではないが)、カイロ博物館の隠れた逸品大スフィンクスのヒゲ、猫とカイロ博物館、ツタンカーテンの遺物、KV55から発見されたネクベト型襟飾り(発見時は王冠と考えられていたようです。)などなど14枚。
最後の3枚は修復中のツタンカーメンの黄金のマスクの3Dホログラム。
















2015年12月3日(木)
アンナ・スティーブンスさん
今日はカイロ博物館に行きません。

しかし、もうひとつの重要案件が待っています。
自分の先生であるバリーケンプのカイロオフィスを訪ねる。
この旅行の前にケンプ先生から『今度いつ来る?』とメールが届き、『カイロ博物館の写真撮影に12月に行く』と回答したところ、『その期間はカイロに戻っているので来てもいいよ』と。
こういう事に関しては、いや、大概のことに遠慮をしない自分が、この千載一隅のチャンスにご遠慮いたしますなどと言うはずもなく・・・。
『喜んで』ということで、訪ねることになったのですが、まったくもって気の利かないエジプト考古省が同じ時期にアマルナビジターセンターの仕事でケンプ先生をアマルナに呼び寄せ、結局ケンプ先生は自分がカイロにいる間にはカイロに戻って来られませんでした。

日本では考えられないというか、おそらくケンプ先生以外のエジプト学者でも考えられないのでしょうが、『自分は帰って来られないが自分と一緒に仕事をしているDr.アンナ・スティーブンス会うといい。きっと有意義な時間が過ごせるよ』とセッティングをしてくれました。

ここでアンナさんについて少しだけ説明すると、まずB・ケンプ先生のアマルナプロジェクトは大きく分けて2つのグループがあります。
ケンプ先生自ら率いるアテン大神殿を発掘調査しているチーム、もうひとつは前シーズンまでアマルナに住む王族や貴族ではない一般市民の墓地である南の墓地(South cemetery)の発掘を行い、今シーズンから同じくアマルナ一般市民の墓地である北の墓地(North Cemetery)の発掘を行っているチームなのですが、アンナさんはこの2つ目のチームを率いています。
最近、アマルナの一般庶民の暮らしぶりについていくつかニュースになっていましたが、それは彼女が属するチームの成果です。
自分は、彼女の本を3冊(Akhenaten's Workers: The Amarna Stone Village Survey, 2005-9: the Survey 2Vol、Private Religion at Amarna: The Material Evidence、ケンプ先生たちと共著Busy Lives at Amarna: Excavations in the Main City (Grid 12 and the House of Ranefer, N49.18)) 所有していますが、彼女の顔写真を見たことがなかったので、経歴だけで勝手に年配の・・・R・シュタデルマン夫人でルクソール・アメンヘテプ3世葬祭殿の発掘を指揮しているHourig Sourouzian博士クラスを想像していました。
9時に約束し出かけたのですが、タハリール広場近くのビルにあるその部屋が見つからない。
部屋は見つかったのだがどうも違う・・・結局見つからずアンナさんに救援をお願いしビルの下で待っていると現れたのは・・・自分の想像など間違っても本人の前では口には出せない若くて美人でした。
この歳でケンプ先生とほぼ同じ立場で調査しているとは驚き以外ないです。
・・・ということでアンナさんを自分の中ではオーストラリアの姫と名付けました。
ちなみに日本の姫はこのサイトでは度々登場し自分が死亡した時の書架の引継ぎ者筆頭である恵理子さんです。

この旅行の前に早稲田大学エジプト発掘50周年記念講演というものに行ったのですが、それを聞いたかぎり日本では絶対ありえないと思うのですが、スポンサーでもないただのアマルナ好きのアマチュアである自分にサシ出会う機会を設けてくれるというだけで驚きなのですが、多くの資料(この中には出たばかりの遺物の写真も含まれている)を見せながら丁寧に説明してくれたうえに自分の質問にもきちんと答えてくれました。
3時間!の至福の時を過ごし・・・この3時間で旅行代の元を取ったようなものなのですが・・・満足してアンナさんとお別れしました。

この後ギザにもう一度出かけ追加でいくつか写真を撮りましたが、まだ建設中の新しい博物館は本当に大きいです。
完成していざ見学となった時には今までのような2時間ではかなり飛ばさないと回りきれないような。

昼食はギザ・ピラミッド近くフェルフェラのテイクアウト。
ここ自分のお気に入りの場所でもあります。

今日の1枚は当然アンナさん。残りは建設中の新博物館、フェルフェラ、ちょっと珍しいギザのピラミッド。








2015年12月4日(金)
最終日
この日午後空港に着く予定なのですが、バヒトラベルが交渉をしてくれ午後6時までホテルの部屋を利用できるようになりました。
大したことがないようですがこれで非常に大きい。
今回は冬ですがそれでも出発前に風呂に入ってサッパリしてから出発できるのと砂漠を歩いて観光しそのまま空港に直行するのとは全く違います。
まして夏の旅行であれば少々高くてもレイトチェックアウト付きのものを選ぶべきでしょう。
今日はサッカラ~メンフィスに行った後にハンハリーリ市場に行ってお土産を買う予定です。
レイトチェックアウトであればこのお土産もスーツケースに詰め込めます。

さて、最終日なのでラムセスヒルトンの朝食を撮影したものを載せます。
自分がこの手の写真を撮影するのは本当に珍しいことなのですが、今回はこの『旅行記っぽいの』をやるつもりだったので・・・やり慣れていないので撮り忘れもかなりありましたが。



カイロもギザも色々なホテルを利用していますが、個人的にはここラムセスヒルトンの朝食が一番好きです。




今回このホテルを選んだ理由もカイロ博物館から近いこともありますが朝食も理由です。
以前よりも減ったもののそれでも日本人がほぼゼロの状態で和食があります・・・昔々はノリまであったのですが。
そして、ここの生ジュースは最高だ。
本当の生ジュース。その場でジュサーで作るイチゴ、マンゴー、グアバを毎朝食時に1杯ずつ飲んでいました。


もしここに泊まることがあるなら作りたてのジュースを飲みましょう。
その他、定番のオムレツも毎日2つ作ってもらって食べていました。
普段の粗食生活(疑う向きもあるでしょうが自称粗食)からは考えられない豪華な朝食です。
多少不安になって帰国後ヘルスメーターに乗ったがとりあえず増加は誤差(許容とも言う)の範囲内でした。



朝食後観光に出たのですが、はっきり言ってこちらの方は本当の観光で、主な目的はサッカラの砂取り・・・お土産用の香水瓶は大量にありますが、中に入れる砂がなかったので。
まずサッカラ。
いや~驚きました。やってくれました。
まず6段の階段ピラミッドが5段に変わっていました。
しかも、修復だか再建だかわからないその怪しげな工事に使われているのはピラミッドには縁もゆかりもないコンクリートブロック!!・・・本当は石灰岩を切り出しているのかもしれないが近くで見てもそうは見えんぞ。
修復後の姫路城が白すぎると嘆いた日本人が見たら腰を抜かすくらいの驚きの修復復元工事。
このまま順調にいけば近い将来サッカラにも真正ピラミッドが誕生することでしょう。
エジプトも現在の拝金主義者が蔓延する日本に負けず古いものを大切にしない精神が順調に育っているようです。
ちなみに使われている技術と資材は中国製らしい。

なぜか納得してしまう。


この後、移動してウナスのピラミッド河岸神殿をきちんと撮影、イムホテプ博物館にも見学、メンフィスへ。
ここも10年ぶりくらいでしょうか。来たのは。

変わってないですね。多少展示物が増えた気がしますが。
この後にハンハリーリ市場へ・・・ここも個人旅行に切り替えてから初めて来ました。
人が多いですね・・・なぜか1枚も写真を撮らず(遺跡以外の写真を撮るという習性がないのでこうなる)

昼食はサッカラのローカルレストランだったのですが中国人と韓国人でいっぱいです。
少ない少ないと言われる観光客ですが、いないのは日本人だけで、中国人や韓国人はともかくタイ人より日本人観光客が少ないとは思わなかったです。
外務省の危険情報とやらの影響で旅行会社がツアーを控えているわけですが、その危険情報とやらがいかにいい加減で政治的かはあおのテロ事件直後でもフランスは危険度は安全を示すシロだったことからも明らかです。

休憩と荷物整理を部屋で行い、6時過ぎにチェックアウトしてカイロ空港へ。
カイロ空港での手続きもバヒの空港スタッフのお姉さんにより問題なく終了。
実はここ難関なのですが、本当に感謝!!です。

出国審査終了後、今回3回目のプライオリティ・パス登場。
カイロ空港第3ターメナルで使用できるのは審査後すぐ左に曲がって廊下の先にあるマスターカードラウンジ。

長年利用していた第1ターミナルに比べてさすがに設備は立派です。しかし、エジプトっぽい土産はあまり売っていません。
自分が好んで買っているカルカデのティーバッグはないようです。
また、飛行機に乗り込む直前の検査で、空港内で購入したものを含みペットボトルは没収されます。
ここは注意です。

トルコ空港で乗り換えも問題なく、4回目のプライオリティ・パス登場。
深夜にもかかわらずラウンジどころかショップも開いているしにぎやかです。
ここで少し休憩しペットボトルを入手して日本へ。午後7時無事帰国。

今日の1枚は・・・柄にもなく本当の旅行記風の写真がゾロゾロ。


上がよくあるもの、下がその場で作る本物の生ジュースコーナー。






中国の製品を利用して真正ピラミッドに改造中の階段ピラミッド。
右側の最下段がなくなっています。
(もちろん、このあと6段目が造られるはずですが・・・)





下3枚はカイロ空港第3ターミナル




旅行記っぽいの。その2