エジプトツアーレビュー

旅行記っぽいの

2014年5月から6月にエジプトに行った時の旅行記風なものです。

2014年5月30日(金)
出発
成田発のブリティシュエアウェイズでロンドンへ。

毎回、何かしら忘れ物をするわけですが、今回はカメラ。カメラ!!
→当然ながら、帰国したら、自宅のテーブルの上に、カメラ君は鎮座しておりました。

遺跡撮影に行くのにカメラを忘れるという異常事態。
しかも、気が付いたのが出発1時間を切ってから・・・当然、出国手続き後。
躊躇うことなく!免税店で一眼レフカメラを購入しましたと胸を張り・・・いえいえ、威張るところではありませんでした。
今まで使っていたキャノンの後継機なので、よしとしよう。軽いし。と自分を納得(慰める)させるのでした。

今回は、成田~ロンドンは、プレミアムエコノミーなのですが、以前に比べてずいぶん進歩していました。
食事等々は、元々なんでもいいので、これで十分満足。

ロンドン到着後、ターミナル5からターミナル1へ移動するのですが、これが結構時間がかかり、1時間くらい。
連絡用地下鉄でC棟からA棟へ、その後バスでターミナル1へという感じです。
ロンドン~カイロは、ビジネスクラスなので、ターミナル1の端にあるBAのラウンジへ。
アルコールと無縁な自分にとっては、ラウンジはイマイチです。
しかも、どういうわけかラウンジと出発ゲートがターミナルの両端。

カイロまで・・・せっかくのビジネスクラスの飛行機でしたが、睡魔に襲われ、せっかくのサービスはほとんどパス。
フルフラットの座席でぐっすり。
カイロには少し遅れて到着。

入院中諦めていたエジプトに、ついに!戻ってきました。
ホテルについたのは、午前3時。夏時間だったんですね。
今回は、カイロでは、フラメンコホテルという3つ星ホテルに泊まります。
3つ星ですが、ミニヤの4つ星より全然いいです。
近くにスーパーもあるし、次回以降・・・あるかどうかはわかりませんが、ここでいいです。
時間は短いですが、それでもベッドで寝られるのはありがたいです。
個人的にな意見ですが、やはりエジプト着即観光はつらいです。

ちなみに、今回、資料として本を大量に持ち込んでいるので、スーツケース2個。
BAの基準はスーツケースは、23kg以内のもの×2個まで。だそうです。
2014年5月31日(土)
カイロ~ミニヤ
観光1日目です。

カイロからミニヤに移動の間にファイユーム近郊を見学しました。
セイラのピラミッド、ハワラのピラミッド、ラフーンのピラミッド、グラブ。
自分は2回目ですが、セイラの小ピラミッドに行った日本人というは少ないのでは。
今回、かなり事前に調べていたので比較的簡単に行けました。
ここで、GPS+地図が役に立ちました。
このピラミッドはかなり高台にあるのですが、眺めは非常によいです。
東には砂漠に聳えるメイドゥムのピラミッド、西はファイユームの緑地。

ハワラ・ラフーンのピラミッドは、とりあえず。

最後のグラブは、現在は何もない場所ですが、有名なティイ王妃の頭像が発見されています。

写真は、セイラのピラミッドから見た東側(真ん中に小さい点がメイドゥムのピラミッド)

ミニヤのホテルは、ほとんど常宿化しているネフェルティティホテル。
星4つですが、設備は星3つも厳しい・・・朝食などさらに・・・でも、自分のお気に入り。
エアコンが新しくなっていました・・・そして、信じられないのですが満室。
毎回ガラガラなのですが、この時期に満室!!
とりあえず、バスタブ付の部屋を希望。
近くにあと2つホテルがありますが、こっちを選んでいます。
JTBは、ホルスリゾートを利用しているようです・・・過去形ですね。今となっては。
2014年6月1日(日)
アマルナ
今回の旅行のメインイベントが、ここで早くも登場。

アマルナで長年発掘を行っているB・ケンプ先生をお伺いしました。
以前からメールで少しやり取りをしていたのですが、今回エジプトに行くと伝えたところ、その期間にアマルナに滞在しているので遊びに来たらと誘われていました。
もちろん、断る理由などあるわけはずもありません。
で、行ったわけですが、自分の中では、少々話をして記念写真を撮って終わり・・・15分くらい・・この辺が妥当。
実際は、まぁ色々喋って、遺物を実際に調査している部屋に案内してもらい・・・ここですでに十分申し訳ないのですが・・・。
なんと、ケンプ先生が現在調査を行っているアテン大神殿を自ら案内し説明をしてくれるという一部の人から恨まれそうなサービスが1時間も。
これなら、明日帰国でも文句を言わないと思っていたら、別の日にランチを食べに来てとお誘い・・・一生分の幸運を使ったかもしれません。
ちなみに、ケンプ先生へのお土産・・・ダルマとまねき猫というW開運キットと母親特製“折り紙細工”です。
帰国後も、わざわざこれのお礼のメールを貰いました。

この後、アマルナ中心部をじっくり。

今日の1枚は、当然アテン大神殿で説明をしてくれるケンプ先生。

記念写真は撮ったのですが、自分は撮影する枚数は普通の人よりケタが1つか2つ違いますが、人が中心というのはほとんどありませんので、非常に珍しいことです。

夕食は、ホテル地区のローカルハンバーガーショップ。自分は結構気に入りました。
『COOK DOOR』だったような。
ミニヤは、レストランがあまりないようで、ホテル以外で食事する場合はこんな感じです。
2014年6月2日(月)
アマルナ
アマルナ2日目。

今日は、コム・エル・ナナと南の墳墓群スイープ(=完全制覇)、労働者の村とストーンビレッジ。

時間の関係でコム・エル・ナナに最初に行ったのですが、ここでちょっとびっくり。
遺跡の遥か遠くにあった畑が目の前に広がり、遺跡エリアに用水路が作られて、すぐに畑になりそうな勢い・・・。
このまま放置すれば、この遺跡もマルアテンと同じ道(マルアテンはアマルナの主要な建築物であったが、現在は畑。)を辿りそう。
ずいぶん前からですが、昨日行ったアテン大神殿はお墓が遺跡エリアを侵食していました。

この後、貴族の墓(南の墳墓群)を25号墓から7号墓に流すように全部に入っていきますが、今回の目的のひとつが、25a号墓や7c号墓など普段行かないものも回る。でした。
南の墳墓群にあるそのような墓は殆ど砂に埋もれていて入ることができませんでした。
ただし、主要墓については、いままで 入ることができなかった24号墓や13号も入りましたので、30号墓まですべて入り、コンプリートを達成しました。
ちなみにアマルナ王墓は26号墓です。

この後、砂漠を歩き、労働者の村へを経由してストーンビレッジへ。

夕食は、ドライバーさんの家でごちそうになりました。
3年のブランクがありましたが、エジプトに来はじめのころは絶対手を出さなかったローカルなものを食べても問題なし・・・何時間歩いて筋肉痛もなし・・・やっぱりエジプト仕様な自分。

今日の1枚は、コムエルナナ遺跡に迫る用水路。です。
2014年6月3日(火)
アマルナ
アマルナ3日目。

今日は、北の墳墓群とアクエンアテン王墓。

3年前から変わった点のひとつにアマルナに行くルートがあります。
以前は、ナイル河をローカルフェリー(ハシケ)で渡っていたのですが、これ、風情はありますが時間がかかります。
待ち時間が長い時で1時間くらい。
それが、アマルナの北ベルシャ近くに橋ができ、そこを利用します。(今回は、ミニヤからナイル河東岸の砂漠ロードを利用)
そこから、以前は、でこぼこ道しかなかったのですが、アマルナまで舗装された道路ができました。

で、そこを通って~左に見えるシェイクサイードの墳墓は前回南から北できれいに見たので今回はパスし、まずステラXに行った後、ステラVから初めて北の墳墓を回ります。
こちらも主要墓は何度も入っているのですが、今回は小さな墓(a.b.c.d付き)も入ります。
南の墓の方は砂に埋もれていましたが、こちらは全て入ることができました。

途中で、この地区のインスペクターさん2人が来て一緒に記念写真・・若くて結構カッコいいお兄さんたちでした。

この後、アクエンアテン王墓、近くにある王族の墓3つも行って、今日は終了。

ステラU、デザート・アルターと呼ばれる遺構は今回はパス。

帰りにノースシティと北の関所(勝手に命名。しかしそういう施設でしょう。たぶん。)を見て終了。

満足。満足。
今日も寄ったチケット売り場近くのカフェテリアのオーナーさん(当然以前から来ているので顔見知り)は人が来ないので商売ならんと言っていました。
今日もハンバーガー・・・こんなに歩いているのにハンバーガー1つで足りてしまう不思議。
近くのスーパーで水とコーラを買って帰りました。

今日の1枚は、砂漠道路から見たベルシャの町。
2014年6月4日(水)
ヘルモポリス
今日は、今回の目的のひとつ、ステラF探索。

ナイル河西岸には、アマルナの境界碑がステラA.B.Fの3つあります。
ステラC.~Eは存在していたわけではなく、
おそらく将来発見された時のために抜け番にしてあるのでしょう。

西岸のステラのうち、ステラAは、トゥーナ・エル・ジャバルという比較的有名な遺跡の近くにあり
保存状態も他のステラの比べればいいです。
ステラBも保存状態はいい方ですが、かなり離れた場所にあります。

今回向かっているステラFは、発見者ピートリーの後は、誰も見たことがない“幻”の境界碑です。
近くに現代の石灰岩採石場があり破壊されたというのが一般的な意見です。
今回は、古い時代の周辺地図とGPSを持ち込み、どうなっているか確認、うまくいけば“再発見”などと考えていました。
順調に事は進んでいたのですが、あと3Kmというところで断念
・・・警備上の理由ということで警察よりストップがかかりました。
政府と対立しているムスリム同胞団の拠点が近くにあるということだったので、断念・・・残念でした。

渋々ですが、引き返して、アシュムネイン(ヘルモポリス)に向かいました。
このヘルモポリスは、自分のお気に入りの遺跡のひとつです。

時間は十分にあるのでゆっくりと回り、その後に近くの野外博物館に寄って終了です。
野外博物館の展示物は、革命影響か、大きなバブーン(ヒヒ)の石像以外は、倉庫に避難していました。
このバブーンの石像ですが、色々な本にも登場するのですが、あまり有名ではないが興味深いネタをひとつ。
二体のうちのひとつ、台座部分に、元々の所有者アメンヘテプ三世ではなく、少し後の王アイの名前が刻まれています。
アイの名前、治世期間も短く、その後の王によってアクエンアテンの系統ということで名前の削り落としが行われているので見る機会が少ないです。
この後、このアイ王の名前を、有名な遺跡で見ることになりますが、それはその時に。

・・・ちなみに、避難先の倉庫には、膨大な数のアマルナ時代のレリーフが
残るブロック(ヘルモポリス・ブロック)が収められており、そのひとつにはツタンカーメンの“王子”時代を示すものもあります。

今日の1枚は、アシュムネインの野外博物館隣の倉庫庭で撮影したブロックの写真です。
2014年6月5日(木)
デル・アブ・ヒニス
今日は、アマルナの北の遺跡です。

砂漠ロードを利用してデル・エル・ベルシャを過ぎアンティノポリスに向かいます。
ここは、前回も来た場所ですが、前回はラムセス2世の神殿のみを見て帰りましたが、今回は少し回りも見ようと。
感じとして3年前より調査がすすんでいるのかかなり掘り返されていました。
この後、カイロ周辺では警備が厳しく見学許可がないため見学できない場所が続出するのですが、
ここも結構見学するのが大変でした。
特に、神殿の周りに広がる都市遺構は、発掘途中ということでブツブツ言われながら見て回ることになりました。
とりあえず、見学終了・・・帰る途中にコプト教の教会跡に行きました。

次、パンパカパ~ン!!今日の目玉、デル・アブ・ヒニスへ。

ここは、それまで・・今でもですが・・・ほとんど注目されていなかったのですが、
ひとつの碑文の発見で、自分のターゲットになりました。
アクエンアテンの治世16年、そしてネフェルティティの名前。
これが、なぜ重要かというと、ネフェルティティの名前とアクエンアテンの治世年の組み合わせは、
治世13年以降見つかっていなかったからです。
死亡、または権威失墜・・・キヤに地位を奪われたなどなど。
自分は、ネフェルティティが改名して王になった説が好きですが。

これを少し補足すると、アクエンアテン王墓で“王妃”ネフェルティティが多数画かれているので、
王妃の地位を奪われたことはないでしょうし、また、改名の証拠もまったくありません。

ところが、碑文(存在は以前より知られていたようですが、読みにくいので放置していたようです。)を
その気もなく読むと、あらら・・ネフェルティティの名前と治世16年と読めます。
これは新発見ということで、あちこちで紹介されました。

当然のように、それを本で見つけて今回の訪問先リストに加えて来たわけですが、
この種の遺跡には、お約束の鉄の扉が付いて入れない可能性が高く、
最悪近くまで行ければと考えていました。

その場所はよくわからなかったので、近くまで行ったところで崖を登り“ローラー作戦”を実施。
これが、スゴイことに・・・行けども行けどもワディと砂漠が延々と続くばかり。
私は、どこに来たのでしょう状態・・・。
すぐ見つかるつもりだったので、水も持たずに崖を登ったまま2時間・・・もう限界。

ということで、渋々下に降りて、近くの農家で休憩。
ついでに、デル・アブ・ヒニスの採石場って知っています?と訊くと、イエス。

あらあら、今までの苦労はなんですかと言わんばかりに、簡単に到着。

採石場跡地なのですが、崖の上の方なので登るのが大変でしたが、入口には“邪魔な”扉もなく、
案内されると、目的の碑文が!!パチパチパチ。
ここは、次回もう少し時間をかけてもいいかなぁと・・・次回?・・・あるのか次回?

この後、デル・エル・ベルシャに行くつもりでしたが、
撮った写真を早く見たかったのでカットしてミニヤへ戻りました。

今日の1枚、今日は苦労したので3枚・・・碑文の写真は専門ページがありますので、
トボトボ歩いた荒野(ここに来た人もいないでしょうから貴重な?1枚。)と
崖の上からデルエルヒニスの町、
途中で見つけた採石場跡。






2014年6月6日(金)
アマルナ
今日は、見学場所は予定していません

なんといっても、ケンプ先生から昼食に招待されているので。
昼食をしながえら、この何日かで回った感想や質問をしながら昼食を楽しむことができました。
・・・いやいや、ウソです。
普段非常に図々しい部類に入る自分ですが、借りてきたネコのごとくの状態でした。
ただ、聞きたいことはしっかり聞きましたし、『これで最後のエジプト』のつもりで来ていたのですが、まだ足りないという気になりました。

ケンプ先生の場合、説明が丁寧ということもありますが、はっきりわかっていること、証拠がないので推測であること、わからないこと、というものをはっきり言います。
わかっていることというのは、発掘・調査によって判明したことです。
エジプト学者の中には、自分の推測を事実と説明する人もいますが、ケンプ先生は違います。

これで、もう少し英語がペラペラと出来たらと思うのは後の祭り君です。本当に。

講演会などに参加してもサインをもらうという趣味はないのですが、今回だけはサインも貰ってきました。

何度もいいますが、殆どこれで今回の旅行の目的は果たしたようなもので、少なくても旅費の元は取りました。

で、今日の1枚ですが、建物はあるが、未だに放置状態のアマルナビジターセンター。
2014年6月7日(土)
ルクソールへ

ミニヤからルクソールへの移動日です。

今までは、アビドス経由だったのですが、今回はアクミーム経由です。
ここについては、新しいページを作る予定です。

ルクソールに午後6時までは入らないといけないという決まりがあるらしく、距離的にあまり時間の余裕がありません。
色々見たいところもあるのですが、毎回1ヵ所です。

ナイル河沿いの砂漠ロードが整備されて、そこを利用したのですが、警備がいるわけでもなく、こんなとこ武装集団に襲われたらとも思うのですが、そういう方々もこういう辺鄙なところに来ないそうで・・・。

延々と砂漠、“豪快”に山をダイナマイトで切り開いた道が続きます。

とりあえず、町が見えたと思ったらアクミーム到着。
古代の町や岩窟墳墓など見どころがあるはずなのですが、見学許可を取っていなかったので、小さな野外博物館のみ見ることができました。

ガイドブックに載っているラムセス2世の娘メリトアメンの大きな像を見て軽く終了・・・と思ったところ、大好きなアレが。

なんと太陽から延びる手・・・自分でなくてもわかるアテン神。
これは、情報にはなかったものです。
完ぺきなものは殆どありませんでしたが、数はかなりあります。
アマルナ時代にもアクミームにアテン神殿があったというような記述がありましたが、確かにそのようです。

ただし、この野外博物館は街の中心にあり、しかも5m以上掘った場所にあり、発掘調査が順調に進むようには思えませんでした。

個人的には、“ついでに観た”この野外博物館は、非常によかったです。

今日の1枚は、この日までお世話になったドライバーさんと一緒に付いてきた彼の娘さん。
自分が、人を撮影するのは非常に珍しいのですが、この親子は撮りたくなりました。

この娘さんは、8歳とは思えぬ非常にできた子供で、エジプト人の子供が、皆この子と同レベルなら、エジプトの将来は明るいでしょう。
自分は、一般的に言われるほど、エジプト人がモラル・マナーが、劣っているとは思っていません。
困っている人がいれば助けるし、それほど豊かとは見えない人が、それでも自分のものを他人に分け与える光景を何度も見ました。

口だけの拝金主義者だけが我が世の春を謳歌するモラル・マナー等々基本的な部分を軽視するどこかの国の未来は暗いような。


2014年6月8日(日)
カルナック神殿&ルクソール神殿
ルクソールでの一日目は東岸です。

三年ぶりですが市内の様子は随分変わりました。
宿泊した旧メルキュールホテル周辺のお店がなくなっていました。
この中にはルクソールに来た時には必ず立ち寄る本屋さんも含まれています。
この本屋さんは移動していたのでこの後行きました。

車両通行禁止の場所がナイル河に沿ってできて、歩いてカルナック神殿に行くことができました。
カルナック神殿ですが、毎回かなりの時間を割いて見ていますが、今回はプタハ神殿は必ず見るつもりでやってきました。
が、このプタハ神殿の近く、厳密に言えば周壁を挟んだ北側にあるモンチュ神殿を見せてくれるというので喜んで行きました。
実はこの神殿には興味があって昔何度かトライしたのですが、その当時はまだ発掘中で見学させてもらえませんでした。
ここに何があるのか?ということですが、少し古代エジプトに詳しい人ならわかると思いますが、アメンヘテプ3世のオベリスクがあります・・・もちろん、壊れた破片ですが。
しかし、ラムセス2世と並ぶ、人によってはラムセス2世を超える建設王と呼べれるアメンヘテプ3世ですが、オベリスクに関していえば現存しているものはないようです。
その破片らしきものも自分はここ以外に知らなかったので思いがけず見ることができてラッキーでした。

残念だったのは、長時間の滞在時には必ず寄るカフェテリア、通称コカコーラ神殿ですが閉まっていました。絵葉書等が少々置いてあるだけで肝心の飲み物はなし。
ここでも、旅行者の減少を感じることができますが、アスワンに行くと更に深刻になります。
この後、南のムト神殿まで見て外に出ました。

この後、整備されたスフィンクス参道を歩いてホテルに帰り、ルクソール神殿に向かいます。
ルクソール神殿は目的は2つ。
こちらに出来たらしい野外博物館と第18王朝のファラオであるアイのレリーフ。
野外博物館は少々がっかりしましたが、丹念に周囲を探すとアマルナ時代のレリーフもあり、とりあえず満足。
アイのレリーフの方は場所は、自分の先生の一人である上村さん(姫)に教えてもらっていたのですぐ発見できました。
この時は非常に満足したのですが、実は自分は大きなミスをしました。
自分が素通りした場所にツタンカーメンの名前が確認できるところがあるらしい・・・涙。
いつか行くことが出来る日が来た時に宿題です。

今日の1枚は、モンチュ神殿のアメンヘテプ3世のオベリスク(の破片)


2014年6月9日(月)
ルクソール西岸
この日はルクソール西岸を観光しました。

しかし、ルクソール西岸の主な観光スポットである王家の谷はカット。
まず、アメンヘテプ3世葬祭殿、普通はメムノンの巨像を少し見て観光終了になるのですが、葬祭神殿内を歩いて行きました。ここは発掘調査中なのですが、オジサンが見てもいいよというので中に入ってみました。この後に、立派な柵が設置されたそうで、もう公式にオープンするまでは入ることはできないようなので少しラッキーでした。

色々なところで書いていますが初期の発掘は宝さがしのようなところもあるので現在の常識から言えばかなり雑です。ですからその後発掘を行われなかった場所を再発掘すると新しい発見をすることがあります。それにしても大きな像がゴロゴロ眠っていたのは驚きです。

たっぷり楽しんだ後にラムセス3世葬祭殿の先にあるマルカタ王宮跡に行ってみました。ここは見学は許されていないようなので軽く見て帰りました。この時に自分にはあまり資料がなかったのですが、帰国後かなりの偶然資料を入手できました。どちらかと言えば資料の方が寄ってきたようなものでエジプトに関して言えば自分はやはり運に恵まれているようです。

マルカタの後にアイ/ホルエムヘブ葬祭殿、メルエンプタハ葬祭殿、トトメス3世葬祭殿を見て今日は終了。

ルクソールのスークでお土産の香水瓶を大量購入したのですが、これが後で事件なることはこの時点では知る由もありません。

今日の1枚はアメンヘテプ3世葬祭殿の中で撮影したものです。
2014年6月10日(火)
アスワンへ
エルカブ、そして、ナイル河沿いに点在している小ピラミッドの最後エドフのピラミッドを見学してからアスワンに向かいます。

昔というほど昔ではないのですが、ルクソール~アスワン間もコンボイという警備車両に先導されたバスの大群でしか移動できませんでした。
この中に個人客がタクシーなどをチャーターして潜り込んでいました。
自分が最初の個人旅行でエジプトを訪れた時にはこのコンボイを利用してエドフ経由で近くのクラにある小ピラミッドを見学しました。
今考えるとアレって違反だったんですね。コンボイ離脱は許可されていなかったのですが、ルクソール発クラ・エルカブ経由ルクソール着だったのですから。
どうやって行けたのか不思議・・・でもないか。たぶん、お金を少々だったんでしょうね。
今より治安が悪いと言われながら実は非常によかったです。

今回もエルカブに最初に訪れたのですが、定番の貴族の墓はスキップしてすぐにこのサイトの奥にあるアメンヘテプ3世の小さな祠を見ました。
その後、途中にある大きな岩、これは信仰の対象だったという資料もあるのですが、そこに登りました。
そこらじゅうにヒエログリフがあります。
カルトゥーシュから古王国時代からここを訪れていたようです。
更に今回のエルカブ訪問のメインイベントであるエルカブの周壁内へ。
短時間でしたがそれなりに写真を撮りました。
事前チェックと資料持参が役に立ちました。

この後にエドフのピラミッドに行くのですが、エドフに行って神殿に行かない日本人も珍しいことでしょう。このピラミッドの写真は小ピラミッドのページに載せてあります。

ということで満足できる移動でした。

今日の一枚はエルカブの聖地らしい大きな岩の上から撮影したものです。
2014年6月11日(水)
シルシラ
今日は、今回の旅行のメインターゲットのひとつジェベルエルシルシラです。

ここは新王国時代からのルクソールの神殿群の主要建築資材の供給源になります。古代エジプトでは採石場は単純な石切り場ではなく多くの神殿や祠が存在します。

ここもナイル河沿いに祠が点在します。
残念ながら東側はほとんど見ることができませんでしたが、ここの主要遺跡は西岸にあるので次回・・・ははたぶんないのですがとりあえず・・・として納得することにしました。

チケット売り場西岸にあるのですがなぜかルートとしては東岸からボートで西岸に行くというのが定番のようです。

ここで一番有名な遺跡はホルエムヘブの岩窟神殿です。
ここはミニヤ近郊にあるハトシェプスト女王の神殿スペオス・アルテミドスに構造が似ています。
ここをじっくり見た後に河に沿って祠を見て回り最後に第19王朝の3人ファラオが造った祠を見て終了です。

観光終了後再びボート東岸に戻るわけですが、この後に見るものが自分にとってはここで一番重要かつ見たかったものになります。
アメンヘテプ4世=アクエンアテンの治世初年のステラ。
これを見られなかったならかなりショックだったでしょうが、実は西岸に渡る前に場所を確認していたので帰る前に見ることができました。

できれば東岸の方もスイープできればよかったのですが、通常はまったく見られないそうなのでよしとしました。

ということで今日の1枚ですがナイル河を渡河中に西岸を撮影した写真です。

2014年6月12日(木)
アスワン
この日は、最初にアスワンの石切り場へ。
と言っても、切りかけのオベリスクがある東岸の石切り場ではなく西岸の石切り場です。
アスワンの石と言えば、花崗岩なのですが、この西岸の石切り場はどうやら珪岩が主のようです。
珪岩は王家の谷に残る石棺にも利用されています。

この後にエレファンティネ島に行きましたが、ここでも今回の重要なお仕事が残されています。
ここでクフの名前を含む碑文が発見されていますが、見たことがなかったのでそれを発見すること。
どうだったかと言えば、見つけました。
実は、この場所は何度も写真撮影をしていたのですが、太陽光の加減で気が付きませんでした。
どうやら、はっきり見えるのは午前中だけのようです。

今日の1枚は、アスワン西岸にに広がる砂漠。
実物は写真の100倍素晴らしいです。
2014年6月13日(金)
アスワン~カイロ
この日は、夕方に列車に乗ってカイロに移動するので軽く周辺を見て回りました。
軽く・・・嘘です。

アスワンでどうしても見たかったもの、アクエンアテン治世初期に花崗岩に刻まれた『ベクとメンのステラ』を見ること。
無料ポイントですが、余程の幸運がないと見ることができないようです。
私有地のようですし警備が厳しいし・・・今回は素通りできましたが。
このステラは、イラストではよく見かける、アクエンアテンとアメンヘテプ3世にベクとメンが捧げものをしているものです。
ばっちり写真も撮影できアスワンでの収支もプラスになったうえに、ヌビア博物館も写真撮影OKということで時間をかけて撮影してきました。
ちなみに、この博物館にはアブシンベル神殿にあったオベリスクが展示されているのはあまり知られていません。
午後、初めての列車移動でカイロへ

写真は、ヌビア博物館で撮影した岩絵。
この博物館に行った人もこれを見ている人は少ないはず。
2014年6月14日(土)
サッカラ~ダハシュール
朝、カイロ着。
アスワン~カイロ間の列車の話を最初に書いておくと思ったほどは悪くないというのが感想です。
寝台列車ですが、ベッドはそれほど狭いという印象ではない、少なくても飛行機のエコノミー席で寝るよりはいいです。
料金の目安ですが、アスワン~カイロ間の飛行機と変わりませんがプラスホテルでの宿泊代よりは安いと考えるようです。
食事は、飛行機のエコノミークラスの軽食が2回出る感じです。
トイレは、きれいではないのですが、聞いていたほど汚くはありませんでした。
喜んで利用しようとは思いませんが、利用して構わない。というところでしょうか。

カイロ着後、アブシール、サッカラ、ダハシュールに行きました。
上エジプトは比較的緩かった観光ルールはカイロ周辺になると厳格になってきます。
許可書をもらってなかったサイトは軒並み見学不可になりました。
南サッカラやダハシュールの黒ピラミッドなど・・・許可をもらうのが当たり前なのですが、少し残念でした。

サッカラではとりあえずセラピウムに初めて入りました。
自分がエジプトに行き始めたころには既に閉まっていたセラピウムですが数年前に再オープンしました。
横道に逸れますが、後にツタンカーメン王墓を発見したH・カーターは、この地区の査察官をやっているときに、このセラピウムを観光していたフランス人と揉めて職を失っています。

今日の一枚は、セラピウム内で撮影したものです・・・二枚ですが。