エジプトの遺跡ガイド    

テル・エル・アマルナ(27.6463,30.8949)

アマルナ、古名・アケトアテンを含む中部エジプトに遺跡群の観光は、
ルクソールのテロ事件以降、外務省の指示により、
旅行会社はツアーを組むことを控えていた。
その後、復活したものの、革命後、
エジプト旅行の低迷とともにほぼゼロになった。
アマルナは、第18王朝のアクエンアテン王が
ルクソールから王都を移転させた場所である。
主な観光場所として、アクエンアテン王の墓、
北と南に分かれた貴族の墓、
地元のガイドがネフェルティティの宮殿と説明する北の王宮、
そしてアテン神殿や王宮のある中心部、
それに境界碑と呼ばれる石碑がある。
2つの地域に分かれた岩窟墳墓のうち
南の墳墓には、後の王になるアイの墓である25号墓、
北の墳墓には、綺麗な装飾が残るメリラーの墓である4号墓、
アクエンアテン王の後継者でないかといわれている
謎の王スメンクカラーが王妃メリトアテンとともに描かれている
メリラーUの墓である2号墓が含まれている。
各遺跡とも、保存状態がよくないため、
観光するときは資料を持参するか、
事前に観光場所について勉強することをお勧めする。
アマルナの墳墓は、TAで表されている。
アイの墓である25号墓はTA25、
メリラーの墓である4号墓はTA4、アクエンアテン王墓はTA26となる。

印刷用アマルナ中心部の地図はここから
アマルナの空撮写真    アマルナ中心部の調査グリッド 
  
アマルナについて詳しい資料

THE ROCK TOMB OF EL AMARNA T〜Y
北・南の墳墓群、境界碑について書かれている。
特に、碑文やレリーフのイラスト載っており、その中に現在見ることが出来なくなっているものも記録され貴重。

THE ROYAL TOMB OF EL AMARNAT・U
シリーズ2巻目にはアクエンアテン王墓の構造や装飾について書かれている。
現在確認することが困難な碑文やレリーフがイラストや写真で記録されておりアマルナに興味ある者には必携。

1巻目は発見された遺物の説明が中心になっている。

The City of Akhenaten T・U・V
EESによる1920〜1930年代の調査報告書で中心部が主な調査場所。
特にマル・アテンについては、EESの調査後は発掘ができない状態が続いているため、マル・アテンの情報はほぼすべてがここからのものである。


アマルナについての詳しいホームページ

アマルナプロジェクト
エジプト観光局


アクエンアテン王墓
北の墳墓群と南の墳墓群の中間にある『ロイヤル・ワディ・・王家の枯れ谷』と呼ばれている枯れ谷の奥に、TA26アクエンアテン王墓(ロイヤル・トゥーム)がある。
アクエンアテンの都アケトアテンはこの墓とアテン小神殿を結ぶ線を中心に作られている。
付近には未完成の墓がさらに3基あるが、おそらく王族の墓と思われる。
この一つがツタンカーメンのものである可能性もある。
近年観光用の道路が近くまで整備され、以前に比べて移動時間が短縮され観光しやすくなった。
入口には、これも21世紀になってから作られた実用的ではあるが周りにまったく馴染まない屋根が付いている。

アクエンアテン王墓  TA27〜TA30  新王国時代 主要墓平面図

アマルナの岩窟墳墓群
王都アケトアテンの西にある崖に掘られた岩窟墓TA1からTA25は、高官たちの墓で、通常北の墳墓群、南の墳墓群と呼ばれている。
同時期のルクソールにある貴族の墓と比べるとレリーフのテーマがまったく違う。
ルクソールのテーマが、自分達の日常生活や葬儀をそのモチーフにしているのに対して、アマルナの墳墓での主なテーマは、王と王の家族、それにアテン神についてのものである。
歴史的に重要な資料となるものが多いのだが、多くが未完成なうえレリーフの保存状態は大変悪く、確認することが難しい。
なお、墓の年代認識の参考になる治世9年ごろから変更されたアテン神のカルトゥーシュを前期・後期と表記、また、王の娘たちのうち誰が表されているかを確認できるかぎり載せた。
周辺の岩窟墳墓と同様にアマルナの岩窟墳墓の多くがコプト教徒に再利用され、その際に装飾にダメージが与えられたほかに、柱や壁面の除去も見受けられる。

北の墳墓群

南の墳墓群

境界碑
アクエンアテン王は、アマルナに新しい王都を作るにあたり、都市の境界を定め『境界碑』と呼ばれる岩を削って作ったステラを作った。
境界碑には、宗教文以外にアマルナに王都を作る理由や今後境界の外に出ないなどという決意表明などが書かれている。
保存状態が非常に悪い。
アマルナを観光する際おそらく『ステラU』と呼ばれている境界碑を見る。
境界碑は、アマルナの中心がある東岸に11基、対岸の西岸に3基が見つかっている。西岸のステラのうち『ステラA』は
比較的見学し易い場所にある。
14基のステラのうち、「ステラM」、「ステラX」が初期のものである。
その後治世8年までに多くのステラが作られ初期のステラに碑文や像が加えられている。
最近、殆どが失われている状態であるが新しい境界碑が見つかり、「ステラH」と命名されている。

境界碑

アマルナ中心部
本来なら、その観光の中心になるべき町の中心部には見所というものが、ほとんど存在しない。
これは、アマルナ放棄後、破壊と石の再利用などにより神殿や王宮が取り壊されたためである。
北の宮殿群、岩窟墳墓のレリーフに描かれた『臨御の窓』とされる橋の遺構、B・ケンプが復元した柱が1本立つアテン小神殿の遺構、大王宮アテン大神殿トトメスの工房跡、貴族の邸宅跡のほか、東部にDsert Altarts、南部にコム・エル-ナナなど使用目的がはっきりしない建築物跡がある。
マルアテン(赤い四角)、レプシウスが存在を示した建築物でおそらくティイに属する祠か別宮と思われる(オレンジ印)、El-Mangara(黄色の円で囲まれた王女の一人に属する別宮があると思われる部分)に、ついては、現在耕地の下で、調査も困難になっている。
River Temple(ピンク印)も、住居の下で、痕跡を見るのは困難である。







(レプシウスの地図)

 アマルナ中心部  アテン大神殿   北の宮殿    North City   アマルナ外周部遺構位置図          
 Desert Altars   コム・エル−ナナ  マルアテン   労働者の村   ストーンビレッジ         
 大王宮   アテン小神殿  North and South Tomb Cemetery                

KV55
ルクソール西岸王家の谷にあるKV55は、アマルナ時代の終りに、アマルナから王族の遺体を持ち込まれたと考えられている。
アクエンアテン、ティイの名前の入った遺物、男性のミイラなどが見つかっている。

KV55

Deir Abu Hinnis
 
ネフェルティティの名前ととも記されたものでは最晩年のアクエンアテンの治世16年という年数が発見されている
Deir Abu Hinnis

アスワン・ベクとメンのステラ
アスワンの花崗岩にアクエンアテンの彫刻家長ベクのグラフィートが刻まれている。
これは、アメンヘテプ3世とアクエンアンテンの共同統治が行われていた証拠として多くの資料に取り上げられている。
しかし、写真が非常に少なく、実際訪れた者は多くない。

ベクとメンのステラ

その他

アマルナ周辺の採石場   ハトヌブ   カルナックタラタート  TT139と共同統治ステラ  
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