王家の谷 墓別遺物資料集

王家の谷

王家の谷について

ルクソール西岸にある。
現在まで64基の墓が発見されているが、実際にファラオが埋葬されていたのは25基である。
KV〜は、
Valley of the Kings(王家の谷)の墓に付けられた番号である。
初期に発見されていた墓のうち、KV1〜KV15は、北から南に番号が付けられ、KV16〜KV23は、それに順じて番号が充てられ、以降は、発見された墓に付けられた番号である。
観光化されほとんどの墓のある東谷と2つの王墓が確認されている西谷に分かれている。

有名なツタンカーメンの墓は、東谷のほぼ中央にある。
なぜここに王墓が作られるようになったかについては、K・ウィークスは、地質が岩窟墳墓の造るのに都合がよかったこと、比較的ナイル河から近く、埋葬に便利だったこと、警備上有利さという理由が挙げ、またピラミッド=王墓説を否定する学者を含めて、多くのエジプト学者が近くの山をピラミッドに見たてたという説を採っている。
壁画の保存状態を考慮し、一般の見学ができなくなる可能性もある。
現在、エリア内カメラ持ち込み禁止となっている。

(見学コース)

『王家の谷』の入場口近くのチケット売り場で、チケットを買う。
枚で3ヶ所入場できるが、ツタンカーメン王墓・西谷にあるアイの墓のチケットは別のチケットになる。
2007年後半よりラムセス6世王墓も別チケットが必要になった。
各王墓で係にチケットを切ってもらう。

殆どの場合ツタンカーメン王墓を含め3ヶ所から4ヶ所見学する。
多少なりとも王家の谷に興味があるなら様々な時代の墓を見ることをお薦めする。
なぜなら、有名なツタンカーメン王墓は、その建築や装飾は臨時またはアドリブ的なもので通常のものとは異なっているからである。
できればツタンカーメン王墓のほか、公開されているならメルエンプタハ、ラムセス6世、アメンホテプ2世または、トトメス3世の墓が
時代的にバランスの取れた見学場所であろう。
ただし、王家の谷で最高の装飾が施されているセティ1世の王墓が見学可能なら、そちらを優先すべきであろう。

ツタンカーメン王墓付近のラムセス9世、ラムセス3世またはラムセス1世というのが、最近の一般的な見学コースのようだが、第18王朝の墓を見学すると建築や装飾の変遷が良く理解できるのでリクエストするとよい。
K・ウィークス率いるTMPが各墓の前に案内板を設置しているので参考にするとよい。
当日にどの墓が開いているかは王家の谷入場ゲート近くにある掲示板で確認できる。
各王墓から出土した遺物は、カイロ博物館2階に展示されている。


『王家の谷 東谷地図』





現在公開中のもの王墓(突然閉鎖することもあるので現地で確かめること。)

KV62(ツタンカーメン)
KV62

KV9(ラムセス5世・6世) 

王家の谷でも珍しい2人の王が埋葬されたとされる王墓である。
ちょうどツタンカーメンの王墓の上にありその墓職人の作業小屋がツタンカーメンの墓を隠していた。
装飾が墓全体にあり色もよく残っていることから人気のある墓である。

大きな入口から直線状に玄室まで通路が伸びている。
もともとラムセス5世が作り始めたものだが、全体を探してもラムセス5世の墓を思わせるものはほとんどない。
入口付近には、ラムセス5世から6世に彫りなおした王のレリーフを確認できる。
プラスター(漆喰)を塗り彫り直しされたがプラスターが剥げ落ち現在の状況になっていると思われる。
ラムセス5世を唯一確認できる場所は、列柱室にあるカルトーシュと説明されている。

見所はドーム型をした天井を持つ玄室の装飾で天井全面に太陽の運行を表す絵が描かれているが色が良く残っている。
玄室にはE・ブロックによって復元された人型石棺が置かれている。
ラムセス6世がなぜ先王の墓を横領したかはわかっていない。
ラムセス6世は墓の大きさに見合う功績もなく、トリノのエジプト博物館にあるパピルスなどから、この時代に墓泥棒が横行していたようである。
このころになると、井戸の間は存在するが必要性がなくなったのか実際にはシャフトは掘られていない。
玄室入口左側手前にKV12と接触した跡が残っている。

KV9
※入墓するため60ポンドが必要

KV6(ラムセス9世)

ツタンカーメンの王墓の近く、KV9の反対側の丘にありその下にKV55、KV5がある。
新王国時代の衰退期だが、墓は比較的大きく全面装飾されている。
現在公開されている墓の最後期に作られた。
装飾のテーマや方法は、KV9に似ているが彩色や沈み彫りは技術的にかなり劣っている。
KV9を見学後にKV6を見学するとそれを実感する。

KV11(ラムセス3世)

メディネト・ハブにある葬祭殿を作ったラムセス3世は、ラムセス2世の息子ではないが、ラムセス2世をかなり意識し息子たちにラムセス2世の息子たちと同じ名前をつけたほか、葬祭神殿も有名なラムセウムをかなり参考にしている。
墓は、東谷の中央
からやや奥に入った小山にある。
治世も長いため準備期間もあり、墓も大きく墓の通路や天井に装飾が施されている。

有名だが保存状態があまり良くないハープ奏者の絵は、ほとんど気づかずに通りすぎそうだが、入口から少し入った左右4部屋ずつある小部屋の左側の一番奥にある。
また、通路の途中で行き止まりになった不自然な場所があるが、これはアメンメス王墓(KV10)にぶつかったために掘るのをやめたものである。

KV11は、もともと前王セトナクトが掘り始めたものだがここを放棄しKV14を自分の墓にし、放棄されたKV11は、ラムセス3世が完成させた。
人気があるが、残念なことに墓全体の3分の1くらいしか見学が許されていない。
見学することはできないが、玄室の大きさはメルエンプタハ、ラムセス2世とともに王家の谷で最大級である。
おそらく井戸の間にシャフトが掘られた最後の墓である。

KV34(トトメス3世)

トトメス3世は、ハトシェプスト女王のレリーフに対する報復をしたとということ(この件は、最近異論が多い。)有名だが、エジプトの領土を拡大するなど素晴らしい功績がある。
お王は、長寿の部類に属し、60歳くらいまで生きていたようである。
トトメス3世の墓は、東谷の奥の切り立った崖の途中にある。
現在は、金属の頑丈な梯子があるが、見つけることが不可能に思えるこの墓も盗掘され再利用されていた。

第18王朝の王墓の基本スタイルである入口から急傾斜の階段と通路の組み合わせと井戸の間(シャフト)の存在、列柱がある前室を挟んで直角に曲がる設計は、トトメス3世から始まっている。
またトトメス3世の王墓で特長的なのは、玄室の形でカルトーシュ型だといわれる丸みを帯びたもので、他の王墓(再埋葬するために、トトメス3世が作ったトトメス1世のものを除く。)にはない。
通路や階段には、装飾はないが井戸の間、前室、玄室の壁や柱は保存状態のよい草書体のようなヒエログリフや絵で装飾され、やや低い天井も濃い青に星が描かれている。
特に玄室にある2本の柱のうち、奥にある柱に描かれた木の姿をしたイシス女神からトトメス3世が授乳されている珍しい絵は見逃せない。
碑文がきれいに彫られた石棺も残されている。
第18王朝の墓を1つ見学するならお奨めである。

KV23(アイ)

西谷の一番奥にある。
観光用に整備された東谷と違い、西谷はほとんど道路も整備されていない。

ツタンカーメンの次の王であるアイの墓は、もともとKV62だったと言われている。
そしてツタンカーメンの本来の墓は、KV23といわれている。

西谷の入口の建物で係(門番)に話をしないと電気は勿論、カギも開いていないときもある。
第19王朝以降の墓にみられる通路がまっすぐ伸びるスタイルの先駆けのようだが、たぶん未完成のまま埋葬したと思われる。
カルトゥーシュや顔が意図的に削られている。

修復された石棺が置いてある。
もともとツタンカーメンの家臣で、ツタンカーメンの未亡人アンケセナーメンと結婚することによってファラオになることができたアイだが、アンケセナーメンでなく、元の妻の絵が描かれているそうである。
珍しいカモ狩りの絵、墓や西谷の別称の元になったバブーン(サル。日の出の際に鳴くことから、太陽のシンボルとされる。)などは必見。
玄室のみに施された装飾は金色をベースにした色使いなどは、ツタンカーメン王墓とよく似ている。
すぐ近くに、アクエンアテン王がアマルナに王都を移転する前に、王家の谷での墓として準備していたものといわれているKV25がある。

KV35(アメンホテプ2世)

アメンホテプ2世は、トトメス3世の息子でありその後継者にふさわしい功績を残している。
45歳前後で死亡したこの王は、183cmとこの時代の人間としては、長身だった。
治世の長さの割に小さな葬祭殿跡はラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)の北に隣接し現在復元中である。

ギザのピラミッドからスフィンクスに向かう坂道の途中に、アメンホテプ2世が建てたスフィンクス神殿跡がある。
アメンホテプ2世の墓の位置は、ツタンカーメンの墓を少し進み右に曲がる通路の一番奥にある。
通路の入口には、ホルエムヘブの墓がある。

第18王朝特有の急傾斜の通路・階段があり、井戸の間を過ぎると、列柱室を挟んで直角に曲がって玄室に入る。
装飾が施されているのは、井戸の間と玄室だけである。

トトメス3世の王墓と違い四角形の玄室の装飾は、トトメス3世のものと同じように、草書体で書かれている。
玄室は2段になっており、奥の方が一段下がり、現在も王が眠る石棺が置かれている。

玄室にある柱には、神々と対面する王が描かれている。
玄室の横にある側室のうち右側のものから、メルエンプタハやラムセス6世など王や王族などのミイラが発見された。
2004年にここから発見された若い女性ミイラ
がネフェルティティだという説をイギリスのエジプト学者が発表し話題になったが、間違いであろうというのが一般的な解釈のようである。
また老婦人のミイラと呼ばれる赤毛の女性のミイラについては、ツタンカーメン王墓の遺物を根拠にアメンヘテプ3世王妃ティイではないかという意見が出されている。

KV43(トトメス4世)

トトメス4世は、アメンホテプ2世の息子である。
30歳前後に死亡しれたとされる。
また、ギザのスフィンクスの足元にある夢の碑文(王子時代に、スフィンクスの近くで昼寝をしたトトメス4世の夢の中にスフィンクスが出てきて、『砂に埋もれた自分を掘り出してくれたらファラオにする』と言われ掘り出した。
その後お告げ通りファラオになれた。という話。)で有名である。

墓は、ツタンカーメンの墓の先から左に曲がり、セティ1世の墓を越えて、緩やかな上り坂の一番奥である。
近くに公開されていないがハトシェプスト女王の墓もある。

第18王朝の特長を備えた墓であるが、井戸の間、列柱室に神々と対面するトトメス4世が描かれた装飾があるだけで玄室には装飾がまったくない。
井戸の間の装飾は、修正・下書きの跡や垂れた塗料などが確認できる。

いかにも未完成という玄室に不釣合いなきれいな石棺がある。
前室には、ホルエムヘブ王時代に盗掘された後に修復した役人マヤ・ジェフトメスの落書きが残っている。
KV43から見つかったチャリオットの一部分などの遺物がカイロ博物館2階に展示されている。

KV8(メルエンプタハ) 

ラムセス2世の息子で、即位したときには既に60歳を超えていたとされる。
カイロ博物巻に展示されているミイラは、他のミイラに比べて白く、聖書で溺れ死ぬ王は、彼ではないかとする意見もあるが、ナトロンに金属製の部質を混ぜたせいであるとされる。
カイロ博物館の梯子などに埋もれて展示されているステラ(イスラエルについて初めて記述した石碑)でも有名である。

墓は、ツタンカーメンの墓から、やや手前の丘を少し上がったところにあり、公開されていないが近くにラムセス2世の墓がある。
ホルエムヘブから始まる墓の装飾は、セティ1世の王墓で極められたが、現在公開中のものでは、墓全体に施された浮き彫り、沈み彫り装飾は高い水準を保っている。
特に、入り口付近のメルエンプタハが神と会う場面の多色に彩色された浮き彫りは、出来がよい。

また、興味深いものの1つに第1列柱室左壁で、固い岩盤を削ることができずにそのまま残されている。
人型石棺がおかれたドーム型の天井を持つ玄室は、装飾等は、ほとんど剥げ落ちているものの、大きさは、現在公開されている王墓の中で最大であり、父王ラムセス2世のものと、ほぼ同じ規模である。
石棺は、中もよく見ることができる。
この墓の第1列柱室には、もう1つ石棺が残されているが、その他にもメルエンプタハの石棺を見ることができる。
カイロ博物館でプスセンネス1世の石棺として展示されている。
これはメルエンプタハの石棺を再利用したものである。
ほとんどの名前が書き換えられていたがベルトのバックル部分にメルエンプタハの名前が残されていた。
この墓入口より奥の崖近くに新たな墓があるのではと発掘調査が進められている。

KV15(セティ2世)

セティ2世は、メルエンプタハの息子である。
墓は東谷の一番奥、ツタンカーメンの墓からまっすぐ進んだ先にある。
近くに、タウセルトとセトナクト、サプタハやトトメス1世の墓がある。

墓の構造は、メルエンプタハのものと比べるとかなり簡素化している。
入り口近くの装飾はよく出来ている。
しかし、奥の方はほとんどが彩色しただけで、更に下書きのままのものもあり、未完成のまま埋葬されたことがわかる。

本来の通路を玄室として使用されセティ2世の小さな石棺が置かれているほか後の時代のミイラがある。
この頃になると、通路はかなり緩やかで殆ど平らである。
セティ2世、タウセルト、セトナクトの埋葬については大変複雑な過程があり、セティ2世の本来の墓がKV15かどうかは意見が分かれている。
KV
14が本来の墓で、セトナクトがKV14を接取した時にセティ2世のために作ったものであるという意見もある。
セティ2世の治世の記録は少ないが、彼のカルトゥ−シュは色々な場所で見ることができる。
カルナック神殿・ルクソール神殿の他、あまり気づかれないところでは、アブシンベル神殿にある
4体の座像のうち右から2番目の右肘下のブロックにカルトゥーシュが刻まれている。

KV47(シプタハ)

シプタハの墓は、ラムセス3世の墓から、トトメス1世や、父のセティ2世の墓に向かう途中にある。
以前は半分ほどまでしか見学できなかったが最近玄室まで公開された。
ここで注目したいのは王のカルトゥーシュである。
数種類の即位名が確認でき、また理由は定かでないが塗りつぶされたり修復されたりしている。
アブシンベル神殿にあるステラにこの王の名前が確認できるが、ラムセス・シプタハとなっている。
おそらく治世途中で名前の変更を行われ、それが理由でKV47の名前の書き換えが行われたと思われる。
全体の半分ほどに装飾がされている。
シプタハの墓からティアアという王妃の名前が入った遺物が見つかったことから以前王母と説明されていたが、現在ティアアはトトメス4世の母でおそらく掘削していた際ぶつかったKV32から紛れ込んだと思われている。
現在玄室の手前通路左側にコンクリートで塞がれている。
玄室は、まったく装飾がなく入口側の4本の柱は切り出したが、奥の柱は未完成である。
シプタハの父はセティ1世ではなくKV10の被葬者アメンメスという説が有力なようである。
珍しい形をした天井にも注目したい。

KV14(タウセルト/セトナクト)

タウセルト女王が、夫であるセティ2世の墓であるKV15の隣に作ったものを、セトナクトが流用したとなっている。
タウセウトが最初から自分のために作り始めたものなのか、セティ2世と王妃タウセルトのために作り始め女王タウセルトの王墓に変更されたものかはわからないが、王妃の墓から王墓に変更されたのは寸法から確認できるようである。
玄室が2ケ所ある珍しい墓である。
正確に言えば、墓の中央付近にある第1の玄室は、タウセルト時代のものである。
最近は、この墓がセティ2世を埋葬するために作られ、そのすぐ後の未完成の部屋がタウセルトの埋葬に使用する目的ではなかったのかという提案が出されている。
ただし入口付近に残るタウセルトの名前が残る装飾には、セティ2世ではなくシプタハ王とともにタウセルトが描かれている。
セトナクトの玄室は、一番奥の石棺が置かれた部屋である。
タウセルトの石棺は、近くのKV13で再利用されている状態で発見された。
複雑な埋葬順については、なぜこのようなことになったかは判明していない。
少なくても入口から最初の玄室までが、タウセルト時代のものだが、最初の通路にシプタハとともに刻まれている以外のカルトゥーシュは、セトナクトのものに書き直されている。
2人の王によって墓全体に施された装飾は比較的残っている。
入口付近の天井には、作業の際に引いた線が残るが、これは作業が右班・左班に分けられ境界を示すものとされる。

KV16(ラムセス1世)

しばらく一般公開されていなかったが、王のミイラがルクソール博物館に展示されたことにあわせて公開されている。
ラムセス1世は、ホルエムヘブ王の後継者で第19王朝の初代の王とされる。
ただし治世が2年と短かったため、自らの葬祭神殿を建設することができず、息子のセティ1世が自らの神殿内にラムセス1世の至聖所を設けた。
王家の谷におけるラムセス1世の質素な墓は、東谷のほぼ中央部にあり、隣にはセティ1世の豪華な墓がある。
2年という短い治世のため墓自体も大変簡略化されている。急傾斜の階段を下りていくと、本来であれば通路か列柱室にあたる部分に玄室が設けられている。
装飾も玄室と壁龕の一部にのみ施されている。
使用される色などから、おそらくホルエムヘブ王の墓と同じ職人が装飾を行ったものと思われている。

玄室に置かれている石棺に施されているレリーフではなくペイントによる装飾は4面のうち2面にのみ残っているが、残りの部分にもかすかに痕跡を見ることができる。
石棺本体と大きさのバランスが悪い蓋が載せられている。

その他見学可能は主な王墓
ラムセス4世(KV2)・ラムセス7世(KV1)
見学可能な非王墓
メンチュヘルケプシェフ(KV19)

現在閉鎖中または、未公開の主要王墓    ページの最初へ戻る

KV57(ホルエムヘブ)

ホルエムヘブは、軍人出身で、アイ王の後にファラオになった。
アイの墓を破壊したのは、ホルエムヘブだといわれている。
また、ツタンカーメンやアイの記念碑の略奪をかなり行っている。

ホルエムヘブの墓は、実はサッカラにもある。
階段ピラミッドから南へ少し行ったところである。
これは、ファラオになる前に用意したものである。

王としての墓は、ツタンカーメンの墓より少し先にいったところにある。
このあとの王墓のモデルになった直線的な墓である。なぜ直線状になったかは不明である。

この墓から、通路にも装飾が施されるようになった。
また、装飾も、彩色だけでなく浮かし彫り、沈み彫りの技法を取り入れられた。

この墓は、全体に青灰色をベースに使っている。
この色は、次のラムセス1世王墓と2つだけに見られる。治世が長かった(それほど長くないという説もある。)にもかかわらず、装飾が未完成に終わっている。

花崗岩でできた石棺も残されている。

KV17(セティ1世)

ラムセス2世の父親であるセティ1世は、ルクソール西岸に葬祭殿を、アビドスにも神殿を建設したほか、カルナック神殿の増築も行っている。
墓の位置は、ツタンカーメンの墓から、少し左に坂を登っていった場所にある。現在閉鎖中であるが、公開されていたら、最優先で見学すべきである。
装飾の技術の高さ、美しさが実感できるであろう。

所々壁画が剥ぎ取られているのがわかる。
あのシャンポリオンも、現在ルーブル美術館の飾られているレリーフを持ち帰っている。
多くの碑文で飾られた美しい石棺もコレクターに売却され、現在はロンドンの私立博物館にある。
最近一部のツアーでこの王墓の見学ができる。

KV7(ラムセス2世)

ラムセス2世の墓は、ツタンカーメンより100メートルほど手前にある。
ラムセス2世が建設した神殿群とは比較にならない丁寧な浮き彫り装飾を施されていたが、洪水の被害を受け殆ど剥げ落ちている。
墓の形式は、ホルエムヘブから始まった直線状のものでなく通路の傾斜が緩やかになったものの第18王朝スタイルのものである。
しかし第18王朝の王墓に比べ側室の数がはるかに多く8本の柱がある玄室もツタンカーメンの墓全体に匹敵するくらい大きい。
残念なことに、KV7からは石棺を含めて目立った埋葬品が発見されていない。

KV22(アメンホテプ3世)

アメンホテプ3世は、後の建築王ラムセス2世とともにエジプト各地にその建築物を残している。
一般的には、ツタンカーメンは、アメンホテプ3世の孫となっているが、ツタンカーメンが残した石碑などから、息子だとする説もある。
アメンホテプ3世の墓は、西谷にある。西谷の入口から進み、一番奥のアイの墓までの、中間あたに位置しているが、現在の通路から少し奥に入ったところにあるので、近くまで行かないと入口は見えない。
墓の構造は、第18王朝のスタイルである。
治世年数が長かったが、未装飾の部屋がかなりある。

セティ1世の墓と同じように、“壁画保存”を目的に切り取られた部分がある。
現在早稲田大学が発掘・修復に当たっている。
近いうちに公開されるという噂がある。

KV20(ハトシェプスト女王)

デイル・エル・バハリの有名な葬祭殿を作ったハトシェプスト女王の王墓は、ツタンカーメンの王墓から左に入った緩やかな坂道を登った奥にある。
父トトメス1世とともに埋葬されていたが、後にトトメス3世が、トトメス1世のためにKV38を作り再埋葬したため、ハトシェプスト女王単独の墓というのが通説となっている。
その後の王墓の形式とは、スタイルがまったく違う螺旋形の下降通路が2つの部屋を挟んで200メートル続き玄室に突き当たる無装飾のものである。

KV5,KV55

前者は、ケント・ウィークスによって発掘調査されている王家の谷最大の面積を持つラムセス2世の息子たちの墓で、装飾は殆ど失っているが、ローマ時代のカタコンベのようなユニークな形をしている。
K・ウイークスは、ミイラの一部も発見されていることから子供たちの埋葬に利用されていたとしているが、Z・ハワスは空墓であるという見解を述べている。
後者は、墓自体は、小さくまったく装飾もないが、女性のように埋葬された男性のファラオのミイラがあったためミステリアスという点で注目されている。

2つの墓ともラムセス9世(KV6)の付近にある。
『地球の歩き方』は、地図で示しているKV5の位置が間違っていると指摘されているのもかかわらず、なぜか修正されない(2013年版より修正)。

KV55

その他未公開の王墓
アメンメセス(KV10)・ラムセス10世(KV18)・ラムセス11世(KV4)・トトメス1世(KV38)


KV63
2006年2月アメンメセス王墓(KV10)を調査中のO・シャーデン率いるアメリカ・メンフィス大学チームが、ツタンカーメン王墓以来の発見をした。
KV10入口付近にあった職人の小屋跡を撤去して調査していたところシャフト式の墓が見つかった。
公開された写真を見るかぎりこの墓の入口や無装飾の墓内部の掘削は丁寧である。
王墓ではないだろうという発表はあったが、詳しいことはわからない。
現在わかっていることは、部屋は1部屋、石棺及び5つの木棺、少なくても1つの木棺にはミイラが見つかったと報道されたものの、その後の調査でミイラはないことがわかった。
アラバスター製の壺も多数ある。
トトメス3世の名前も確認できるが、年代的に第18王朝後期の墓と思われている。

KV63の平面図

http://kv-63.com/home.html

KV64
2011年、バーゼル大学チームが、KV40付近をクリーニング中に発見した。
KV40の西側に位置しシャフト式の入口から埋葬室に入る簡単な構造である。
第18王朝の墓を第22王朝時代に、Nehemes-Bastetという名の女性の墓として再利用されている。
こちらの方は、ミイラや木棺など比較的多くの遺物が発見されている。
元の所有者は、アメンヘテプ3世の王女で、ひどく破壊されたミイラが、彼女だと思われており、略奪を受け、ひどく荒らされたわずかな遺物が残るだけである。

    
上は、KV64、埋葬室からシャフト方向
下は、遺物。左は第18王朝の人型カノポス容器の蓋、右は第22王朝時代の棺。

 

KV40
2014年エジプトにおける大きな発見の一つとされた。
1899年にロレによって発見・調査されてシャフト式の簡単な構造墓としてされた後、長い間放置されてきた。
KV64を発見したバーゼル大学チームがクリーニング中に更に多くの部屋を見つけた。
この中で主に第18王朝の王族のミイラや王族に属する遺物を多数発見されている。
この発見は王家の谷における初期の発掘で単純なシャフト墓とみなされたものでも再クリーニングを行えば新しい発見ができる可能性があるということを示した。
KV40平面図

王家の谷中心部付近の職人小屋跡分布図


ARTPの調査予定ポイント



ARTPの調査によって反応があった場所



人名紹介

K・ウィークス
AUCの教授で、現在の王家の谷における発掘研究の中心人物。
彼が中心となっているTMPは、それまで行われていなかった正確な測量が行われ、各墓入口に案内板を設置しているので、観光の際参考になる。
TMPの最大の功績は、やはりラムセス2世の子供達の墓KV5の再発見と綿密な調査であろう。

H・カーター
カーナボン卿の支援されたツタンカーメン王墓の発見者。
元水彩画家。
ツタンカーメン王墓(KV62)は、有名だが、それ以外にもトトメス4世王墓(KV43)なども発見している。
近年になってKV62から小さな遺物を持ち出していたという説が出されている。

T・デービス
ツタンカーメンの王墓発見以前の王家の谷最大の発掘者。
ユウヤ・チュウヤの墓(KV46)、シプタハの王墓(KV47)、ホルエムヘブ王墓(KV57)、謎の墓(KV55)などが有名である。

V・ロレ
トトメス3世王墓(KV34)、アメンヘテプ2世王墓(KV35)の発見者である。
特に、アメンヘテプ2世王墓では、王自身のほか、多くの王のミイラが発見された。


王家の谷に関しての詳しいホームページ
Theban Mapping Project

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エジプトの遺跡ガイド

新王国時代 主要墓平面図
エジプトの遺跡ガイド