アメンヘテプ1世の祠堂
トトメス4世時代のカルナック神殿平面図
カルナック中心部の変遷
トトメス4世の列柱廊
エジプトの遺跡ガイド

オベリスクの中庭〜至聖所

アメンヘテプ3世が建築した第3塔門とトトメス1世が建造した第4塔門の間の『オベリスクの中庭』にトトメス1世のオベリスク(高さ19.5メートル、重さ120トン)がある。
本来トトメス1世、トトメス3世、トトメス2世が2本づつ計6本のオベリスクがあったが現在は1本だけが現存している。
トトメス3世のオベリスクは、その一部や台座が確認できるが、トトメス2世のオベリスクは痕跡を見つけることは困難である。
これは、アメンヘテプ3世が第3塔門建造の際トトメス2世の建築物を解体してしまったからで、トトメス2世のオベリスクの台座は,アメン神殿北側のメンチュ神殿前に建てた自らのオベリスクの台座として再利用している。
またトトメス2世のオベリスクの一部は、フィリッポス・アリダイオスの聖舟祠堂の再利用されていることが確認できる。

カルナック神殿図表資料

この第4塔門と第5塔門の間は、大列柱室ができるまでの列柱室であった。
左右に上エジプトと下エジプトの冠をつけたオシリス柱がそれぞれ18本、22本が部屋を取り囲むように配置されている。
北側にある柱にはトトメス1世の名前が刻まれているが、トトメス1世は北側の2本を含め3本を、残りはトトメス3世時代に建てられたものである。
南側の列柱にはアメンヘテプ2世の名前が刻まれているが、アマルナ時代にカルトゥーシュ内のアメンの文字が削り落されているのを見ることができる。

トトメス1世時代に完成していたこの列柱室をハトシェプスト女王がオベリスクを建てるため一旦解体し、おそらく再建工事はトトメス時代に完成したと思われる。
トトメス1世が建造した第5塔門、トトメス3世が建造した第6塔門ともに損傷が激しいが、第6塔門にはトトメス3世が征服した都市の名前が刻まれている。

第8塔門は、ハトシェプスト女王が建造したものだが、現在はハトシェプスト女王の名前は見当たらない。

第7塔門と第8塔門の東の側壁には、第20王朝後期の王ラムセス9世と神官アメンヘテプが描かれているが、王と臣下であるはずのアメンヘテプがほぼ同じ大きさになっている。
過去には考えられないことで王権の低下がうかがわれる。

第8楼門と第9塔門の間には、中王国時代(おそらくセンウセルト3世)の塔門と同じ時代の周壁の跡が発見されている。

ホルエムヘブ王が作った第9塔門、アメンヘテプ3世が作った第10塔門は、現在修復中のため見学できない。
2つの塔門の間には、アメンヘテプ2世の神殿が建造されている。
第9塔門からは、第2塔門と同じように石材として使われた破壊されたアテン神殿の残骸が発見され、第10塔門前でアクエンアテンのオベリスクの一部と言われる石材が見つかっている。
カルナック神殿〜ムト神殿のスフィンクス参道
野外博物館写真集

塔門を過ぎると、中心軸に沿って建てられているのは、アレキサンダー大王の後継者フィリッポス・アリダイオスの聖舟祠堂である。
中は聖舟を安置する台座がある。
この花崗岩製の建物は、その石材としてそれ以前の建物を解体したものと思われ、少なくてもトトメス2世の名前が記されたブロックは、この王のオベリスクだと思われている。
当然ながら、本来この重要な場所にそれ以前にも建築物は存在し、おそらくトトメス3世またはハトシェプスト女王の聖舟祠堂があったと思われている。

復元された第3塔門 アメンヘテプ4世のレリーフが削り取られている

ラムセス9世が建築した門から右に進むと第7塔門、聖池に行くことができる。

第4塔門の入口左側にはトトメス4世のカルトーシュが刻まれている。
野外博物館に展示されているトトメス4世の列柱に囲まれた中庭は、第3塔門の詰石に利用されていた。
本来は、第3塔門から大列柱室がある地点に存在していたトトメス2世の中庭内に作られていた。
アメンヘテプ3世が、父王を含む先王たちの建築物を大規模に解体した理由はわかっていない。

第4塔門を過ぎると、エジプトに現存するオベリスクの中で一番高いハトシェプスト女王のオベリスク(高さ28.5メートル、重さ325トン)が聳える。
台座に刻まれた彼女自身の碑文によれば治世15年冬季2月1日から治世16年夏季4月30日の7ヶ月間にアスワンの花崗岩採石場から切り出し、ナイル川を下り据え付けまで完成させたとしている。
このオベリスクは、現在野外博物館に復元されている『赤い祠堂』に描かれている。
ハトシェプスト女王は、カルナック神殿域に合計4本のオベリスクを建てたが、トトメス3世の祝祭殿東側に存在していたものは、記述されていることが事実ならば現存する最大のオベリスクの約2倍の約62mとなっている。
ハトシェプスト女王葬祭殿のレリーフに登場するオベリスクは、2組のうち最初に建てられたこの巨大オベリスクだと思われる。
上部と下部の色が違うが、通常の説明ではその存在を隠すためトトメス3世がオベリスクの周辺に壁を築いたためとされるが、この意見に対する異論もある。

自らの正当性を誇示する碑文が刻まれているとされるこのオベリスクに、敵対者とされるトトメス3世の名前が刻まれているのは興味深い。
通常2本対で建てられるオベリスクのもう1本は、途中から折れ上方部分は聖池近くに展示されている。

   至聖所1     至聖所2      至聖所3   

現在の聖舟祠堂の両脇にはハトシェプスト女王の至聖所があるが、左側(北側)の至聖所の壁にはトトメス3世の有名な年代記が刻まれている。
レリーフの色が残る内部は、ハトシェプスト女王のカルトゥ−シュや王は描かれている部分を削られた状態が確認できる。

通常この行為を命じたのは、ハトシェプスト女王と緊張関係にあったトトメス3世とされているが、これが正しいかどうかは他の建築物のいくつかのレリーフが無傷であることなどから疑問視する意見もある。

至聖所から裏(東へ)進むと、中央にセンウセルト1世のカルトゥーシュが刻まれた石があるだけの広い中庭に出る。
実際にはカルナック神殿の建設が始まった中王国時代の神殿があった場所であるが、移築・取り壊し・石の再利用などにあって現在の状況になっている。
ただし、至聖所から祝祭殿までの参道がこの区域を迂回していることから、少なくても新王国時代までは建築物が残っていた可能性はある。
この時代の建造物に施されていた装飾の素晴らしさについては、野外博物館にあるセンウセルト1世のホワイト・チャペルで確認できる。

中王国の中庭の先(東)にあるトトメス3世の祝祭殿は、天井が残っているためレリーフの色が比較的残っている。
ハトシェプスト女王のオベリスクがこの建造物の裏にあったことから、この区域には元々ハトシェプスト女王以前の建築物があった可能性もある。
また、キリスト教徒は使用していた時期があるため、聖者などの絵が残っている部分もある。
南側の柱にはヒエログリフの解読に成功したシャンポリオンの名が刻まれている。

この「トトメス3世の祝祭殿」に立つ柱は、角柱のほかトトメス3世の軍事遠征の際に使用したテントの支柱を模したと言われているもので珍しい形をしている。

奥に植物園と呼ばれているトトメス3世が、シリア・パレスチナ遠征の際に見た珍しい動植物のレリーフがある「植物園」と呼ばれる場所があり、また現在ルーブル美術館にある「カルナック王名表」があった部屋は、祝祭殿の入口付近にあり王名表のレプリカがはめ込まれている。
アビドスの王名表に比べて非常に見にくいがこの王名表には第2中間期の諸王の名前も確認できる。

  中王国時代の中庭〜トトメス3世の祝祭殿   
  トトメス3世の祝祭殿   中王国時代の中庭2      
  アレキサンダー大王の至聖所と植物園   ソカル神の礼拝堂   
  トトメス3世祝祭殿平面図     

中央の柱 上部にシャンポリオンの名が刻まれている。
植物園外観
左に、ニウセルラーの名が見える王名表のレプリカ
カルナックの王名表があった部屋の外観
アレキサンダー大王の至聖所外観

現在は植物園の脇から裏に出ることができる。
神殿の背後には中心線に沿って、トトメス
3世の小さな神殿とハトシェプスト女王のオベリスクの遺構がある。
この遺構の東側のもラムセス2世の『聞き届ける耳』神殿の遺構がある。
その前にあったトトメス3世が切り出しをはじめ、最終的にトトメス
4世が完成させたオベリスクがあった。
通常2本対であるべきオベリスクが最初から1本だけしか存在しないある珍しいオベリスクは現在ローマにある。
ちなみにイスタンブールのトトメス3世のオベリスクもカルナック神殿第7塔門前から運ばれたものである。

聖池、第7塔門〜第10塔門    
  
第4塔門前のオベリスクの中庭から右に進むと、左前方にハトシェプスト女王のオベリスクの先端が陳列されている。
このハトシェプスト女王のオベリスクにはトトメス3世の名前がいくつか刻まれており、ハトシェプスト女王の名前も残ることからトトメスの名前は後に刻まれているようには思えない。
このオベリスクがハトシェプスト女王治世後期に建てられたことから、非常に興味深いことである。


大きな池は、神官たちが沐浴し、カモを飼っていた聖池である。
聖池の手前には、ナイル川西岸にあったアメンヘテプ3世の葬祭殿から運び込んだスカラベが置かれている。
現在観光客はこの周りをまわる光景がよく見られるが、そのような儀式が古代からあったわけではない。

この周辺には、ナイロメーターや、タハルカ王の神殿などがある。

池に沿って東に進むと売店があり、その先は、夜に行われる音と光のショーの観覧席になる。
この観覧席の下には、この神殿の神官たちの住居跡がある。
   

第7塔門前の広場は、カシェとして知られている。
20世紀初め発掘中に、大量の遺物が地中から見つかった。
明らかに意図的に埋められていたものだが、その理由は明らかになっていない。
多くは、カイロ考古学博物館・ルクソール博物館に展示されている。
この中庭を囲む周壁の外側部分の装飾は、ツタンカーメン時代のものとされている。
第7塔門は、トトメス3世により作られたものだが、装飾はラムセス2世、メルエンプタハのものが多く、特に右(西)の外壁には、有名なヒッタイトとの講和条約の碑文がある。
第6塔門と同じような占領した町を描いたものはトトメス3世である。
カシェの中庭に置かれた多くの石像は、カシェで発見されたものである。
塔門の外側にトトメス3世が建立したオベリスクがあったが、現在は痕跡だけが残っている。

ツタンカーメンの名前が彫られたブロック

 野外博物館  野外博物館写真集   カルナック中心部の変遷  
  
第2塔門前を左に進んで行くと、野外博物館入口に出る。
ここを見学するには、別料金が必要であるが、それに見合った内容の展示物が置かれている。
入口付近には、レリーフが付いた上質の石灰岩ブロックが多数並べてある。
保存状態がよいものが多いのは、第3塔門の詰石にされていたためである。
中王国時代のファラオやアメンヘテプ1世のカルトゥーシュも見つけることができる。
 
     

トトメス4世の列柱室

再建された建物として、アメンヘテプ1世のアラバスター製の祠堂、センウセルト1世の聖舟祠堂、そして『赤い祠堂』と呼ばれている鮮やかな赤色珪岩製のハトシェプスト女王の聖舟祠堂、トトメス4世の中庭、アクエンアテンがアメンヘテプと名乗っていた時代に装飾した神殿の塔門がある。

センウセルト1世の聖舟祠堂
ハトシェプスト女王の『赤い祠堂』
中央右に刻まれているのが、臣民を表すレキイト鳥
ラムセス2世の時代のレリーフ
セティ1世時代のレリーフ

柱のところどころに刻まれた鳥は、臣民を示し祭りの際に庶民が立ち入ることができる場所を示していたとされる。

列柱室の左側の壁(北側)はセティ1世、右側の壁(南側)はラムセス2世時代のものである。
列柱室の柱や壁を含め、神殿のいたるところで縦に削られたような溝があるが、これは民衆が霊的な効果を信じて長期間に亘り爪で削り取った跡である。

列柱室内と同じく第3塔門の外側(列柱室側)の装飾もセティ1世とラムセス2世によるものが残されているが、建築はアメンヘテプ3世が、装飾の比較的広い部分をアメンヘテプ4世時代のアクエンアテンが行っている。
アクエンアテンの装飾は後に破壊されて再利用ブロックになっていたが、現在野外博物館に展示されている。

第2塔門を過ぎると有名な大列柱室になる。
アメンヘテプ3世が作り始めセティ1世が完成させた。
この部分と酷似するルクソール神殿の列柱廊の建築者であるアメンヘテプ3世が中央の開花式パピルス柱を作ったとされているが、その理由として挙げられるのは、この柱の基礎部分が日干し煉瓦を使用されているのに対して、残りの柱の基礎がアテン神殿を解体した再利用ブロックを使用しているということである。
そのため、列柱室の建設がアテン神殿を解体したホルエムヘブ王時代から始まった可能性もある。
柱の装飾はラムセス2世の時代に完成しそれ以降の王も自らの名前を刻み続けていたことがわかる。

中央に12本ある開花式パピルス柱の高さは約21mあり、外側の左右各61本づつ計122本の閉花式パピルス柱は約15mある。
本来は屋根があり、小さな明り取りしかない暗い部屋だった。

いくつかの石像が置かれているが、本来は歴代ファラオの膨大な数の石像が置かれていたと考えられている。

セテイ2世の聖舟祠

入口付近に残されたナポレオン遠征隊の落書きを見ながら塔門を過ぎると中庭に出る。
中庭の左に3つの入口を持つ小さな聖舟祠堂があるが、セティ2世の時代のものである。

右側を見ると第1塔門を作るために使用した泥レンガの傾斜路が残されている。
中庭を挟んだ反対側にセティ2世のものに比べ大きな神殿があるが、ラムセス3世のものである。

バスを降りて神殿に進む道は、ナイル川と神殿を結ぶ運河であった。
チケット売り場からX線チェックを受ける小屋の裏にセティ2世の小さなオベリスクがある。

神殿のパーツ


オベリスク

1個の石から切り出された先端が尖った柱状の記念物で神殿に奉納された。
ハトシェプスト女王のオベリスクは先端部分には、金と銀の合金であるエレクトラムが貼り付けられていた。
多くのオベリスクは、花崗岩製でアスワンで切り出されていた。
傷つけることなく巨大な石の柱を建てたのかは多数の提案がだされているが、確定していない。

塔門

現存する新王国時代以降の殆どの神殿に備わる塔門は、古代エジプト独特のもので、ヒエログリフの地平線を意味するアケトに由来する台形の2つの建築物から構成され、古王国時代の葬祭神殿にその原型と思われるものが既に存在している。
中に階段があり上まで登ることができ、また実際には塔門の入り口には木製の扉があった。
塔門は、カルナック神殿第一塔門裏に残るような傾斜路を使い石を積み上げ、装飾を彫り完成となる。
塔門の外壁の窪みは、旗竿を取り付けるためのものである。
塔門建設のために、過去の王の建築物を取り壊し石材と使用することも多く、カルナック神殿野外博物館には、そこから発見され復元されたものが展示されている。
建造したファラオ以外にも、後代の王たちが塔門に装飾を追加することも多く、そのため
装飾だけでは、建造者を判別できない。



現存する神殿には、多くの種類の柱が存在する。時代により多用される柱の種類は、変わりまた同時代に建築された神殿においても、多くの種類の柱を見ることができる。
代表的なものとして、パピルス柱、ロータス柱があり、それぞれパピルスとロータスをモチーフにしており開花式、閉花式がある。グレコ・ローマン時代の神殿群には、複合柱と呼ばれる凝ったデザインの柱頭と持つ柱が好まれた。
また、オシリス柱と呼ばれる腕を交差した王がオシリスの姿をした柱や、柱頭がハトホル女神を表したハトホル柱もある。
前者は、カルナック神殿やアブシンベル神殿、後者は、ハトシェプスト女王葬祭殿やデンデラのハトホル神殿で見ることができる。


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エジプトの遺跡ガイド


カルナック中心部の変遷
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中王国時代の中庭〜トトメス3世の祝祭殿

アレキサンダー大王の至聖所は、植物園のすぐ近くにあり、レリーフには、色がよく残っている。

カシェの中庭〜第7塔門  第8塔門外側  プタハ神殿  聖池周辺、外壁  第7塔門〜第8塔門
カルナック東区域  第7塔門〜第8塔門東側外壁  第10塔門付近  ムト神殿

左がラムセス9世、右が神官アメンヘテプ

ラムセス3世の神殿の裏(南)には、多くのブロックが置かれている。
それらに博物館や墓以外では、見ることが稀なツタンカーメンの名前が入ったブロックも含まれている。

  カルナック神殿中心部の平面図      
  カルナック中心部の変遷    
  トトメス4世時代のカルナック神殿平面図     
  旧列柱室2&オベリスク   旧列柱室1     
  第3塔門&第4塔門   第3&第4塔門2   
  第5塔門〜第6塔門   旧列柱室第4塔門北壁内   
  ハトシェプスト女王のオベリスクU      
      
         

中庭を越えると、第2塔門である。
塔門前にある石像は、珍しくラムセス2世のものがピヌジェム1世に横領されたものである。
第2塔門は第18王朝のホルヘムヘブから第19王朝ラムセス2世の間に作られた。
入口の装飾は、プトレマイオス朝時代のものである。
この塔門の修復作業中に、詰石とされたそれ以前の建築物の残骸が発見されその一部が展示されている。
また、トトメス3世のオベリスクの先端部分も展示されている。

長期間にわたり改増築が繰り返されたカルナック神殿だが、第30王朝に第1塔門が建造されるまでは、この部分は神殿の外側になっており、第1塔門建造時にそれらの神殿などをそのまま取り込んでしまったため、古代エジプト人が好む左右対称とは、程遠い印象を与える結果になっている。
中央にあるパピルス柱は、ヌビア系ファラオであるタハルカ王のキオスクと呼ばれる建造物の一部である。
本来10本あったが現存するのは1本である。

供物台のような台座には、元々オベリスクが建てられていたと考えられている。

中庭の両端にもスフィンクスが並んでいるが、これはラムセス2世によって作られ第1塔門の外側から続き第2塔門まで伸びていたものを後の時代に移動したのにである。

中庭の中央にあるスフィンクスは、ツタンカーメンが作ったものので、ルクソール博物館にはツタンカーメンのカルトゥ−シュが刻まれたものがある。

第二塔門及びタハルカ王のキオスク

この神殿の東側に入口を抜けると、左側(東側)に向かうとラムセス2世がヒッタイトと平和条約についての碑文が刻まれた壁や、旧約聖書に登場するシェショク1世(シシャク)が敵を打ち据えているレリーフがある。

第一塔門から見た第二塔門及びラムセス3世神殿

ラムセス2世が作ったスフィンクス参道を過ぎ第30王朝時代に建造された第1塔門に至る。
この塔門が未完成なことは、装飾が施されていないこと、壁面に凹凸がること、何より建設のために使用された泥レンガ製の傾斜路の遺構が残されていることからわかる。
傾斜路跡は現在は塔門内側にのみ残されているが、
戦後すぐに撮影された写真を見ると、外側にも残っていたことがわかる。

スフィンクス参道〜第1塔門A

第1塔門〜中庭

セティ2世のオベリスク
中庭から見た第一塔門 
ピネジェムに横領されたラムセス像
左の写真のカルトゥーシュ部分を拡大したもの
ラムセス2世の和平碑文
大列柱室の平面図
アテン神のカルトゥーシュが刻まれた石

第2塔門〜大列柱室

カルナック・タラタート
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第1塔門〜第3塔門平面図
第1塔門〜第3塔門平面図
ツタンカーメンのスフィンクス
列柱室外壁-南
列柱室外壁−北
列柱室3
列柱室2
第1中庭
第2塔門
第1塔門〜第3塔門平面図
ラムセス3世神殿
第2塔門2
ルクソール博物館に展示されているツタンカーメンの名前入りのスフィンクス
列柱室1
第二塔門入口付近
セティ2世聖舟祠堂
スフィンクス参道〜第1塔門

カルナック神殿平面図

メンチュ神殿

カルナック中心部図

第6塔門を通り過ぎると、左側にはツタンカーメンが奉納したアメン神の像(ホルエムへブが名前を書き換え横領)がある。
また有名なロータスとパピルスを表した花崗岩製の柱があり、それぞれ上エジプト、下エジプトを象徴している。

カルナックアメン大神殿