1904年に上空から撮影されたギザ。
カフラーの河岸神殿やスフィンク神殿も砂に埋もれていることがわかる。

 

マスタバ資料
エジプトの遺跡ガイド

ギザ (29.9793,31.1343)

(観光ルート)
ギザには、有名な3つのピラミッドと大スフィンクスがある。
通常のツアーでは、1つのピラミッドの中に入り、太陽の舟博物館を見学し、パノラマポイントと呼ばれる3つのピラミッドがよく見ることができる場所で記念写真を撮り、そのあとスフィンクスとカフラー王の河岸神殿を見学して観光終了となる。(2時間〜3時間)

カフラーのピラミッド参道について
ピラミッド平面図

第6王朝の貴族カルのマスタバの碑文に、ギザの3つのピラミッドの古名が含まれている。

メレスアンクの墓
ギザというサイトが、クフ王によって開かれた未開の地であったかのような説明をする資料があるようであるが、ギザそれ以前から墓地として利用されていたことはいくつかのマスタバの存在から証明できる。


ポイント1

ピラミッドの材料である石の大部分は、ピラミッド周辺で調達できる石灰岩である。
ギザのピラミッドの場合は、カフラー王の参道脇にある馬蹄形をした大きな窪みが核に使用された採石場跡である。

外装石に使う上質の白い石灰岩や、玄室や神殿の内張りや石棺に使う花崗岩、玄武岩などは、ナイル川の氾濫期に船を使って運んだとされている。

ポイント2
ギザのピラミッド建設にかかわった労働者数は、2万〜3万人というのが大方の見方である。
10万人の奴隷が・・というヘロドトスの意見は信じるのが困難になっている。
ちなみに当時のエジプトの人口は、150万〜200万人とされる。

ナイル川の氾濫期に耕地を失った農民のためにピラミッド建設をしたというピラミッド公共事業説については否定はしないが、建設は氾濫期のみに行っていたわけではないという意見が主流のようである。

ポイント3
石を運搬した方法は、形は違うが傾斜路を使用したというのが一般的な意見である。
傾斜路を使用せずテコを大々的に使用する方法は木材の調達や高所でスペースが限られるなど困難なようである。
ちなみに、ピラミッドの半分の高さを建設するのに建設に必要な石材の約80%を消費する。

ポイント4
隠された部屋、未発見の部屋の発見については現在まで多くの探検家や学者が挑んでいる。
ピラミッドは一般的に思われているような石がきちんと隙間なく積み重ねられているわけではなく、ところどころ砂や砂利を詰めた部屋も存在しているので、“空間”が存在する可能性はあるが設計段階からの“予定された部屋”が見つかる可能性は低いと思われる。しかし2000年にメイドゥムで平行通路に上に持ち送り式天井を持つ小さな部屋をフランス隊が発見するなど全く可能性がないわけではない。
ちなみに、この部屋を見つけたフランス人は、クフ王のピラミッドにも秘密の部屋があると主張しているが、Z・ハワスにアマチュアには調査させないと一蹴された。

人名辞典

ヘロドトス
古代ギリシアの歴史家。
彼の著作に基づいて色々の伝説・逸話が生まれた。

ベルツォーニ
本来の職業は、考古学とは無関係ながら次々と新発見をしたイタリア人。
カフラーのピラミッドの入口を見つけた他、王家の谷でもセティ1世を含む多くの墓を発見している。


M・レーナー
もともとニューエイジからエジプト学に入ってきたアメリカ人。
ギザのスフィンクスの専門家で現在はザヒ・ハワスとともにピラミッドタウンの調査をしている。


R・シュタデルマン
現在主にダハシュール地区を主に調査しているピラミッドの最高権威のひとり。

Z・ハワス
元エジプト考古最高評議会のトップである。
現在ギザのピラミッド建設に従事した労働者達の墓を調査している。
クフの衛星ピラミッドを発見した。

河江肖剰(かわえ ゆきのり)
おそらく河江氏本人は、ここに登場することを喜んでいないと思うが、
自分のエジプトの遺跡に関する知識のうち“正しい”部分は、殆どすべて彼から得たものであり、
感謝の気持ちをこめて紹介しておく。
日本では、あまり知られていないのかもしれないが、エジプトで活動するエジプト学者のなかでは、よく知られた優秀な若手エジプト研究者である。
レーナーの発掘に参加しているほか、小泉首相がエジプトを訪問した際は、ピラミッドとスフィンクスの説明を行った。

石種

石灰石    
簡単に手に入れられ、切り出しも容易だったことから古代より建築資材として利用されていた。
産出場所により、目の細かさや色が違っている。
古王国時代のピラミッドは建築場所近くで採石できる粗粒石灰石を核に使用し、外装石には、カイロ南のトゥーラ産出の石灰岩を使用した。

神殿の建築資材としても使われたが、後の時代に使用される砂岩よりも上質の装飾を残していることが多い

花崗岩

エジプト南部アスワンで採石できる。
石灰岩に比べ切り出しが困難で特別な場所・物にしか使用しなかった。
クフ王の玄室、石棺、カフラー王の河岸神殿の外装と内張り、メンカウラー王の外装石の一部に使用が確認できる。


アラバスター

壺などに使用される場合が多いが、カフラー王の河岸神殿の床に大々的に使用されている。
なお、エジプトでアラバスターと呼ばれているものは、厳密には雪花石膏ではない。

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エジプトの遺跡ガイド

下は、H・ソルトが残したギザ地区の地図.
ソルトは、19世紀前半のイギリスのエジプト領事で遺物蒐集を行っていた。


下のイラストは、レプシウスの調査時のマップである。
クフ方の舟が埋められていた場所や、カフラー王の河岸神殿、スフィンクス神殿は、描かれていない。
一方、東南端しに描かれているのは、近年発見された労働者の墓地群と思われ、興味深い。


ナポレオンのエジプト遠征に同行した調査隊による地図

ツアーでは行くことはないが、その他にもケントカウエス王妃の墓、3つのピラミッドの核に使用された石灰岩の採石場跡、貴族の墓、少し離れた場所にはピラミッドを作った労働者たちの町や墓が見つかっている。
ケントカウエス王妃の墓

クフ王のピラミッド
カフラー王のピラミッド
メンカウラー王のピラミッド
大スフィンクス