ルクソール神殿

現在観光する際は、神殿を挟みナイル川と反対側の道沿いにある入口から神殿地区に入る。
入口から神殿に進む道の右側に残る遺構はローマ時代の軍営の跡である。
第1塔門から延びるスフィンクス参道は、ネクタネボ1世によって作られカルナック神殿まで続く。

第1塔門はラムセス2世が建造し、カデッシュの戦いの場面を描いた装飾が施されている。

塔門前には、オベリスク2基(現在右側の1基はパリにある。)とラムセス像左右各3体(このうち2体をパリへ移送されている。)が置かれていた。
19世紀当時エジプトを統治していたモハメド・アリは、2基のオベリスクをフランスへ寄贈する約束をし、その代わりに現在モハメド・アリ・モスクに置かれている時計(すぐ壊れ、その後停止したまま!)を受け取った。
20世紀になり当時のエジプト大統領サダトはフランスに実際に運ばれた1基の返還要求をしたが当然フランス側は拒絶した。
「本来2基ともフランスのものだが、1基はそのままでよい。」というのがフランス側の言い分だったようである。
パリへ運ばれたオベリスク側にあるラムセスの座像はオベリスクを背負う形になっており、現地人ガイドは「将来オベリスクがなくなることを知っていたラムセスが予めもう1基用意していた。」などと説明する。
実際には、なぜこのようになっているかはわからない。

塔門から中へ進むと左側上部に建物が現れる。
これは現在も使用されているモスク(アブー・エル・ハッジャージ・モスク)で入口も見える。
この建物は教会でモスクに改装された時には今より高い位置が地面であったため不思議な光景を見ることになる。
なお、モスク建築のため古代の列柱の一部が取り除かれている。

第1塔門内側のうち左側の装飾は、モスク建築の関係で見学禁止となっているが、ラムセス2世とネフェルタリ及び息子達の行列のレリーフとなっている。

右側には3つの区域に分けられた聖舟祠堂がある。
4本の柱を備えた柱廊を持つこの聖舟祠堂はハトシェプスト女王が作ったものをラムセス2世が再建したとされているがハトシェプスト女王の痕跡は見られない。
ただし、聖舟祠堂前に並ぶ4本のやや細身の柱については、どちらかというと第19王朝とは異なる様式で、中王国時代のものにも思えるがハトシェプスト女王の時代に作られたものかもしれない。

本来第1塔門からやや歪んだ形の中庭を2列の閉花式パピルス柱74本と、ラムセス2世の11体の立像と2体の座像に囲んでいた。
このラムセス像のうち座像を含むいくつかについてはアメンヘテプ3世像を流用したものとされる。

聖舟祠堂近く西面壁の王女たちの行列レリーフ、南西翼面のルクソール神殿に向かう王と王子たちの行列のレリーフを見ることができる。

アメンヘテプ3世時代のものをラムセス2世が横領したと思われる座像の脇を通り、更に進むと左右各7本の19m閉花式パピルス柱の柱廊となる。

この部分からアメンヘテプ3世の時代に作られた部分になるが、最初の柱近くに白い王と王妃の座像が置かれている。
この区域の装飾を行ったツタンカーメンと王妃のものであるが、装飾とともにホルエムヘブによる名前の書き換えが行われ横領されている。
装飾のテーマは、オペトの祭りでカルナック神殿からアメン神の行列がルクソール神殿に訪れる様子と、祭りの後にカルナック神殿に帰って行く様子が描かれている。
オペトの祭とは、『美しきオペトの祭』と呼ばれ、年1回10日から1ヶ月程度行われていたと思われている。
アメン神の像を乗せた神輿を神官たちが担ぎいくつかの聖舟祠堂で休憩しながらルクソール神殿までやってくる。
祭りの期間中ルクソール神殿に留まり儀式が行われ再び行列を組みカルナック神殿に戻るというものである。
列柱ホール 壁面図

更に進むと再び大きな広場が現れる。
ここは、太陽の中庭と呼ばれており34本×2列の閉花式パピルス柱で囲まれている。
同じ閉花式パピルス柱であるが、ラムセス2世時代に作られた第1中庭を囲む柱に比べて下部まで装飾が施されている。
ルクソール博物館特別展示室で展示されている遺物は、現在『ルクソールカシェ』と呼ばれている太陽の中庭の西側から発見された一部である。
この区域の壁面にはアメンヘテプ3世だけでなく、セティ1世やセティ2世の名前を見ることができる。
また柱に刻まれたアメンヘテプ3世のカルトゥーシュを見ると、多くが『アメン』を削り落とされている。
これはアマルナ時代、アメンヘテプ3世の息子であるアクエンアテンの命によるものとされる。
ただし王のレリーフが傷つけられているものについては、後の時代キリスト教徒によるものがほとんどである。

この奥は神殿の中心部となり、左右各16本の閉花式パピルス柱の列柱室から至聖所へと向かう。

天井が失われて広場のように見えるローマ時代に礼拝堂に改装されファラオの時代とはやや異質な印象を与える部屋は、再利用ブロックを確認できる。

ここから現在も天井が残る部分に入るが、入口右下部に珍しいアイの名前と図像が残る。

2つ目の部屋がアメンヘテプ3世の作った聖域にアレキサンダー大王が自らの祠堂を作った部屋となる。
新王国時代とアレキサンダー大王の時代のものとの装飾方法の違いを見比べることができる場所でもある。

この部屋の後が至聖所となるが、現在は天井がなくなっている。

その他有名な誕生の間はアレキサンダー大王の至聖所から左(東)から行くことができる。
アメンヘテプ3世は、アメン神の子であるというモチーフのレリーフがあるのだが、保存状態が非常に悪く、初めてルクソール神殿に行く者には見つけにくい。


            
 
                  

                  

               

            

           
        
         

       

              
 
             
       
 
            
      
              
     
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下の写真は、アイの図像のレリーフ。左上にカルトゥーシュに囲まれたアイの名前も見える。



         

                  

          

           

        
 
      

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