第二列柱室に付属した部屋のうち右側手前からヌン神とトト神、ミン神、奥にもう一つ部屋を持つオシリス神のための部屋があり、かなり破壊されているが捧げ物の描かれた左側の部屋も3つの部屋がある。
この左の部屋の一番奥にあるオシリス神とジェド柱を礼拝するラムセス2世のレリーフHも人気がある。

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オシレイオン写真集

アビドス(26.184652 31.918995 )

パッケージツアーでアビドスに行く場合、ルクソールを起点となりデンデラとセットになっていることが多い。
アビドスには古代エジプトの聖地であり多くの遺跡があるのだが、約1時間の見学時間でセティ1世神殿を駆け足で見て回る程度になり、オシレイオンやラムセス2世神殿まで見学するには個人旅行として訪れるしかない。
古代エジプトの聖地アビドスは1日費やすだけの価値がある。
特にセティ1世の神殿のレリーフは建設当時の色がよく残っており浮き彫りの技術も素晴らしい。

エジプトの遺跡ガイド
アビドス空撮写真

セティ1世神殿平面図

中に入ると、オシリス柱Aに囲まれた中庭がある。
なだらかな階段を上がり角柱のある柱廊を過ぎると、左右2つづつの入口と中央に第一列柱室へ進む入口がある。
中庭を囲む壁面を注意して見ると、当初予定された下書きなのか練習として描かれたものか、それとも単なる落書きなのかは簡単に判断はできないものの周辺のレリーフとは無関係の図像を多数見ることができる。

脇の部屋は、一番左は父王セティ1世の間B、その隣は大英博物館に展示されている王名表があった先祖の間C、九柱神の間E、
一番右は神格化されたラムセス2世の間Dとなる。

正面にも3つの入口があり、それぞれ祠になっている。
至聖所である真ん中の部屋には、神格化されたラムセス2世を含む黒色花崗岩の像Iがある。

オシレイオン

オシレイオンと呼ばれる遺構は、通常のツアーでは多くの時間を割いて見学することはないと思われ、実際に地下水によって内部見学できない状態である。

列柱室の右側にある3つの礼拝所は、手前(東側)からホルス神、イシス神、オシリス神に捧げられたもので、イシス神の礼拝所の側壁にある綺麗なレリーフMも観光客に人気がある。
左側は4本の柱と壁龕があるホールと2つの礼拝所に続く。

各至聖所は、2つの部屋から構成され、壁面レリーフは、セティ1世が神々に捧げものをして、礼拝をする日々の儀式の様子を描いている。
至聖所の一番奥の壁は、偽扉が作られている。
ただしオシリス神の至聖所だけは実際の入口があり、更に奥に10本の柱から構成される列柱室がある。
この小さな列柱室の西側の壁には、ガイドブックなどで紹介されるセティ1世がジェド柱を抱えるレリーフLがある。

第2中庭を過ぎると、よく保存された神殿部分に入る。
ラムセス2世が神々に向き合う場面のレリーフがある柱廊を
過ぎると、24本の柱が並ぶ第一列柱室になる。
ここまではラムセス2世時代に建築された。
この部分の装飾には、

本来は中の至聖所に合わせ7つの入口を作る予定であったが、
いくつかは閉じられている。

神々を礼拝するセティ1世のレリーフ
オシリス神とイシス神のレリーフ
アビドス空撮写真
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アビドス空撮写真
ラムセス2世神殿写真集

セティ1世神殿

現存する新王国時代の神殿の中では、最高レベルの壁面装飾を見ることができる。
L字型のセティ1世の神殿は、セティ1世の時代には完成せずラムセス2世が完成させた。

オシレイオン平面図

ラムセス2世神殿平面図

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このあとの部分がセティ1世の建築部分になるが、ラムセス2世時代に完成した部分との違いは、その装飾の出来で一目瞭然である。
セティ1世の場合丁寧な浮かし彫りでレリーフが仕上げられているが、ラムセス2世のものは、それに比べてやや雑な仕上がりの沈め彫りである。

セティ1世時代に完成した12本×3列計36本の柱がある第2列柱室に続いて綺麗なレリーフが残る7つの至聖所が現れる。
7つある至聖所のうち一番左側(南側)のものが神格化されたセティ1世Eのものである。

保存状態のよくない第一列柱室Fの右側にオシリス神を祭る部屋がある。
更に進むと第二列柱室Gがある。

ラムセス2世神殿

ここで見られるレリーフはセティ1世神殿に比べればやや劣るものの、ラムセス2世に属する神殿レリーフでは優れた出来である。
これはラムセス2世の建築物でもっぱら使用された砂岩ではなくこの神殿では質の良い石灰岩を使用されていることもその理由のひとつであろう。
屋根がないにもかかわらず、レリーフには色がよく残っている。

現在は観光客は第二塔門@から神殿に入る。
入口付近には、第一塔門や小さな祠の跡がある。

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エジプトの遺跡ガイド

神殿の外側の北壁及び西壁には、ラムセス2世の神殿ではお馴染みであるカデシュの戦いのレリーフが残されている。

中央にある長方形の穴には石棺を、正方形の穴にはカノプス容器を模したようなものが置かれていた。
列柱室には装飾が施された付属室が南北に各5部屋、東西に各2部屋配置され、玄室を模した奥の部屋にも浮き彫り装飾が施されているが、残念ながら地下水のため入室して見ることはできない。

以前は角柱を多用した建築方法から古王国時代の建造物をセティ1世が流用したという説があったが、発見された遺物からは古王国時代を示すものはなく、新王国時代の建造物と言える。
メルエンプタハの名前が多く残るものの、おそらく彼の祖父であるセティ1世が第4王朝の巨石建築を模倣して作ったものとされる。
花崗岩で作られた柱の一部、入口から伸びる通路と前室Cには装飾が残っている。

これは、北側に入口があり、左に曲がり列柱室を通って玄室に進む墓のスタイルを採った空墓であり、オシレイオンの東側に位置するセティ1世神殿は、その葬祭神殿ということになる。
入口@は、セティ1世の神殿から見て奥になり、手前が玄室Aとなる。
内部は、大きな花崗岩を使用しており、中央にある角柱が並ぶ列柱室Bは、原始の海を表しているとされる。

この通路にある別のレリーフにも同じように王子アメンヘルケプシェフを伴ったラムセス2世が描かれている。
通路の南(左)側にある神殿の残りの部分は、通常観光できないが、生贄の動物を屠殺するレリーフがある部屋や倉庫、聖舟祠がある。
神殿の裏からオシレイオンやラムセス2世神殿に行くことができる。

その根拠として碑文には王としてのラムセス2世のカルトゥーシュが刻まれ、アメンヘルケプシェフは一部欠損しているものの王子が描かれているレリーフの右上の碑文に名前を読むことができるのに対して、セティ1世の名前はない。

神殿の裏に出る廊下はラムセス2世によって作られ、ここには牛追いのレリーフOがある。
多くの資料で、王子ラムセスを伴ったセティ1世・・と書かれているが、これは王子アメンヘルケプシェフを伴ったラムセス2世を描いている。

第18王朝後期のアクエンアテン王からアイ王までのアクエンアテンの関係者は省かれているのは有名だが、その他にも第2中間期の諸王やハトシェプスト女王も名前がなく、セティ1世がアマルナ時代だけを歴史から抹殺しようとしていたわけではないことがわかる。
また、王ではなく王子としてのラムセスの名が、図像の右下にある碑文に見られる。

上段は、第5王朝から第6王朝。幻の王ウセルカラーの名前も見える。下段は、第18王朝の王の名前が見える。アメンヘテプ3世の次には、ホルエムヘブになっている。

第二列柱室を左に進むと、突き当りに入口が2つあり、右側(西側)の入口はソカル神とネフェルテム神の至聖所、左側(東側)の入口からは有名な王名表のある廊下に行くことができる。
王名表Nは、第1王朝メネス王からセティ1世までの歴代の王のカルトゥーシュが刻まれ、それを王子ラムセスを伴ったセティ1世が礼拝している。

それから順にプタハ神F、ラーホルアクティ神G、アメン神H、オシリス神I、イシス神J、一番右の入口はホルス神Kの至聖所のものである。
各至聖所の入口と入口の間の壁のレリーフにある窪みには、本来は像が納められていたと思われる。
またその窪みの上には、たとえばイシス神とホルス神の礼拝堂の間にある壁にはイシス神とホルス神のというように2つの礼拝堂の神が描かれている。

現在使われている入口から少し進んだ天井を支える梁の部分に彫られたラムセスの碑文に、
オーパーツだと言われている戦車ヘリコプター・戦闘機を描いたように見えるヒエログリフD
見ることができる。
実際には、九弓の民の制圧者上下エジプト王ラムセスと描かれている。
また、カルトゥーシュを見ると、セティ1世からラムセス2世に書き換えが行われていることがわかり、
碑文も書き換えが行われた可能性もあり、それが誤解を招く損傷の原因かもしれない。

第一塔門@は、ほぼ破壊されている。第一中庭には、2つの丸い窪みがあるがこれは神官が身を清めるための池Aである。
左の周壁の外側に見えるものは、神殿付属の倉庫群である。

柱廊を備えた第2塔門もほぼ破壊されているが、塔門の左側(南)に
ラムセス2世の息子B、右側(北側)に娘Cの名前が刻まれたレリーフがある。
ラムセス2世の子供たちの“行進の図”はラムセウム、ルクソール神殿や
アブシンベル神殿などにも見られる。

神殿後部写真集
王名表写真集
アビドス空撮写真