アクエンアテンのテーベ再埋葬の時期について

アクエンアテンのテーベに再埋葬されたのは、ツタンカーメンのアマルナ放棄とほぼ同時期、アマルナの治安の悪化と、それに伴って予想される事態を避けるための予防策というのが専門家を含めて大方の意見のようです。
さて、ここで問題になるのが、アマルナのアクエンアテン王墓からは、王のカノプス容器の破片が見つかっていることです。
さらに、王家の谷KV55では、本来キヤの埋葬品だったカノプス容器や木棺(本当にキヤのものか、自分は疑っていますが。)をアクエンアテンの再埋葬に利用したものが発見されてます。
普通に考えて、ツタンカーメンが、再埋葬にあたり、父王の本来のカノプス容器や棺を破壊し、代わりにキヤのものを再利用するという奇怪な行動を意図しないかぎり、そういうことは考えがたいです。
それよりも、
ツタンカーメンが行ったこのアクエンアテンのテーベ移送の前に、アクエンアテン王墓が荒らされたと考えるほうが妥当ではないかと思います。
つまり、アクエンアテンのミイラをテーベに移送したのは、王墓が荒らされたことがきっかけになったのであって、
もともと
ツタンカーメンは、アクエンアテンのミイラをアケトアテンの境界碑において宣言した通りアマルナの王墓から動かす気などなかったのではないのでしょうか。
もしかしたら、治世のかなり遅くまで
ツタンカーメン自身もアマルナに王墓を造営する予定で、作業が進行していたのではないのでしょうか。
そうであれば、アマルナのロイヤル・ワディに工事の進んだ未完成の王墓と思える墓(たとえば60mも掘られたアマルナ29号墓)があり
一方、10年近くの治世がありながら、ツタンカーメン王墓として造営中だったといわれているKV23またはKV25にしても埋葬に使えるほど作業は進行しておらず(その死まで工事を行っていなかった可能性もあると、自分は思っています。)、
とても王墓とは呼べないような墓KV62を利用しなければならない状況も理解できるのではないしょうか。
ついでに、自分の個人的な全く根拠のない妄想の類ですが、KV62は、ネフェルネルウアテン王の墓だったもので、ツタンカーメンの葬儀を執り行ったアイが、ツタンカーメン本来の墓の造営が間に合わないため、
同じく完成させるには時間が足りない葬送品共々流用したのではないだろうかと考えます。
※M・Gabolde、アマルナ27号墓をアクエンアテンの後継者ネフェルネフェルウアテン女王、28号墓はキヤの娘(Gaboldeは、ベケトアテンとしている。)、そして29号墓がキヤの墓だという見解を示しています。
※Amarna Reportsを参考すれば、アマルナ中心部以上に、アマルナの王墓の造営にあたった労働者の村からも、アクエンアテンよりも圧倒的な数のツタンカーメンの名前が入ったリングが見つかっています。
これを、専門家が絶対的な根拠にすることは困難でも、素人が言い張るのには十分でしょう。

アクエンアテン王墓

従来の説では、玄室がアクエンアテンとティイ、王墓の中の王墓と云われる通路(便宜上第一側室と呼ぶ)が、ネフェルティティ(予定の可能性も含む)のために計画されたとされています。
専門家を含めて、この説は概ね支持されているわけです。
ですが、自分はここで新しい(たぶん)説を書きたいと思います。
自分の意見は、従来ネフェルティティの墓とされている部分は、アクエンアテン本人の墓ではないかというものです。
いいか悪いか、自分のような素人が何を言っても事態が変わるわけではないので、この際言ったもの勝ちということで書かせてもらえば、玄室(個人的には玄室ではなく、列柱室の可能性もあるのではと考える。)は、
当然王墓の玄室であるのでアクエンアテンひとりのために用意されていたものを、最初に亡くなったティイの埋葬に利用され新しい王の専用墓として第一側室を掘り始めた。
しかし、間に合わずもと最初のプラン通りに玄室に収まったのではないでしょうか。
玄室を見ると、過去の王墓と同じ程度で、とても2〜3人の王族が埋葬されるには、大きさが足りないです。
従来、ティイの棺が置かれた場所とされる玄室左側一段高くなっている場所ということになれば、押し込めたという印象が高く、石棺を設置するための窪みを無視し大きさだけで言えば、
低くなっている場所に棺それを覆う厨子を置くと考えたほうがよく、そうなると、ちょうどKV55の大きさとほぼ同じです。
第一側室がネフェルティティ用とする場合、アクエンアテンは、(河合氏の意見では)2番目に亡くなった愛する
ネフェルティティを未完成で見栄えのしない側室に埋葬し、自分は母とだけ一緒に玄室に埋葬されることになりますが、それをアクエンアテンが本当に望むと考えるかが、最大の問題点です。
ついでにいえば、アクエンアテン、ティイの石棺の破片が多数発見されていながら、ネフェルティティの埋葬の痕跡は、ほとんどゼロに等しい(シャブティ1体)のもこの王墓に彼女が埋葬されたということに対する疑問点になるでしょう。

ただし、葬送具の有無だけで云えば、葬送具が全く発見されないメケトアテンも埋葬されたかが怪しくなりますし、ティイ王妃も石棺以外の葬送具は発見されていないです。
ティイ王妃の石棺以外は破片すら見つかっていない状況を考えれば、完璧な運び出しを行ったとも考えられるので、ネフェルティティ、メケトアテンは、この墓に埋葬されたことを完全には否定できないです。

治世 6年前後 アマルナ遷都:王墓造成開始
治世10年前後 現在の玄室まで造成完了
治世12年前   ティイ死亡:玄室に埋葬
治世12年前後 王墓内に、通路式の王墓追加工事開始
治世13年後   次女メケトアテン死亡:これ以前に5女・6女死亡:側室を増築
治世17年     アクエンアテン死亡:新しい王墓が未完成のため玄室に埋葬


ネフェルティティ
彼女の出自については、わかっていません。
そのため、わずかな証拠に基づいて、多くの意見が出されています。
簡単に否定できるものも含まれています。
2013年7月現在『ウィキペディア』に書き込まれているネフェルティティ=キヤ説
その根拠は、ネフェルティティとキヤが同時表記されていないというもののようです。
これは、根拠の中でも最低の部類に属しますが、キヤが、王妃にとっての一番上位のタイトル『偉大なる王妃』または『第一王妃』・・・和訳は怪しいが・・・を使用していないこと、
キヤの図像レリーフには、スカーフが描かれていない
というだけで、自分にも否定ができます。
『ウィキペディア』についていえば、便利ではありますが、編集者(書き込み者)の知識によって、トンデモ説が堂々と真実のように語られ多くの人が信じてしまうという問題があります。
『ウィキペディア』のネフェルティティの項目について、もう一つ、アマルナ好きとして否定しておく必要がある部分があります。
『娘に続くネフェルティティ自身の記録の消失』の部分です。
ここに書かれているものは、過去形に属する説です。
現在は、ネフェルティティの名前が、アクエンアテンの治世16年増水期3月の日付とともにベルシャ近郊の採石場で発見されています。
話は、ここで終わりません。
自分はネフェルティティ=ネフェルネフェルウアテン=スメンクカラーだと信じていますが、この日付の存在は、この説にとっては、やや目障りな証拠になります。
治世17年のアクエンアテンとの共同統治が3年とした場合は、不整合が出てきます。
もともと、アクエンアテンの石棺などを根拠に、ネフェルティティが最後まで王妃だったと言いきれるのですから。
長期の共同統治がなく、アクエンアテン死後に、ネフェルネフェルウアテンorスメンクカラーとして統治したということであれば、可能性はまだ残りますが。
アクエンアテン王、ネフェルネフェルウアテン王、メリトアテン王妃の名前が記された遺物は、共同統治説の根拠ですが、こうなると、この遺物は最晩年のものということになります。

アマルナの遺跡のマニアックな楽しみ方